「一兵卒として出直して精進します」と言った、貴乃花親方(元横綱)。弟子の十両貴公俊が春場所8日目の3月18日に、支度部屋で付け人へ暴行。元横綱日馬富士関の傷害事件の対応を巡って相撲協会と対立していた貴乃花親方は窮地に立たされる形となった。心をあらためたのか、初日から無断欠勤や早退が続いていたが、暴行が発覚してからは毎日まじめに“出勤”するようになった。そして13日目の23日、内閣府に提出していた告発状を取り下げる意向を明かした時に言った言葉が、冒頭の言葉だ。

 「一兵卒」という言葉は、私たちの普段の生活ではあまりなじみのない言葉のような気がする。疑問に思った報道陣から「あの言葉はどこから」と問われると「一兵卒という言葉が頭にあって。親父からも育てられてますので」と明かした。師匠でもあった父の元大関貴ノ花(故人)の教えだったという。だから何だ、と言われたらそうだが、何となく「へー」と思った。このやりとりは、千秋楽の25日の朝稽古後のことだった。

 実は朝稽古では、報道陣とざっくばらんに話すことが多かった。テレビや新聞で取り上げられるのは、どうしても協会との対立姿勢に関する言動ばかりになってしまう。ただ、その裏ではこんなやりとりもある。

 雨が降った日だった。貴乃花部屋の稽古場は、京都・宇治市の龍神総宮社の敷地内にあるのだが、雨宿りする所がない。とは言いながらも、稽古場の横に長ベンチが置かれた屋根付きのスペースがあるにはあるが、敷地内での写真撮影や力士への取材が規制されていたので、何となく記者の間では近寄りがたい雰囲気があった。傘をさして遠目から見ていると、貴乃花親方が話しかけてきた。「こちらへどうぞ」。優しく記者らに話しかけてきて、そのスペースに誘導してくれた。たまたま1番後ろにいた記者は、右手でそっと背中を押された。「平成の大横綱」のパワーを感じた、と言うのは大げさかもしれないが、「こんな一面があるのか」と思った。

 またある日は、報道陣に対して「朝早くから大変ですね」と気遣う時があった。「どこから来たんですか?」と、逆取材するほどだ。会場のある大阪市内の宿に泊まっている各社の記者は、6時過ぎには稽古場に着くように、大阪から始発の5時の電車に乗って通っていた。なぜなら、7時ごろには朝稽古が終わってしまうからだ。それを逐一真面目に説明すると「そうなんですか」「へー」「大変ですね」と驚きの表情で返してくる。生意気言わせてもらいますが、本当に大変でした。

 千秋楽の朝稽古後、いつもなら報道陣に対応する時間になっても、稽古場の周りをうろうろしていた。弟子が全員宿舎に戻り、稽古場の明かりが消えても1人でずっとうろうろ。1時間弱がたち、ようやく報道陣の前に来ると「落ち葉拾いです。若い衆は若い衆できれいにしていたけど、目が届かないところもあるので」と、稽古場周りをうろうろしていた理由を説明した。

 メディアで取り上げられるのは、無表情だったり、無言だったり、淡々と話したり…。人間味をあまり感じない、という読者もいたのではないだろうか。だが、決してそんなことはないというのが、朝稽古の取材で感じ取ることができた。記者は貴乃花親方を批判するつもりでも、擁護するつもりでもこのコラムを書いた訳ではない。ただ、1人でも多く「へー」と思ってくれる読者がいればいい、と思い執筆しただけです。【佐々木隆史】