「今? 180かな。一度は145まで落ちたんだけどね」。現役時代、「サリー」の愛称で親しまれたその人は、現在の体重を聞かれると笑みを浮かべながら答えてくれた。酸いも甘いもかみ分けながら人生を送ってきた、味わいさえ感じるその笑顔は、現役引退から25年たっても少しも変わりなく感じた。

元大関で、今はタレントとして活動する小錦八十吉さん(58)が6月18日、都内で「小錦来日40周年パーティー」を開いた。「100%相撲を知らなくて、1銭も持たないで」(小錦さん)入門するため来日したのが、ちょうど40年前の6月18日。新弟子検査では、当時の体重計では目盛りを振り切ってしまったため2台で計測、腕が太いため血圧計を使えず…と入門時から話題に事欠かなかった。最後の蔵前国技館開催となった84年秋場所では、千代の富士、隆の里から金星を奪い12勝3敗で殊勲賞と敢闘賞を受賞。「黒船襲来」と、その猛威は恐れられた。

87年夏場所後、大関に昇進した。記者が初めて小錦を取材したのは、その2年後の89年初場所。平成という新元号になって最初の場所だが、支度部屋で目にしたのは文字どおり「黒船」を思わせる巨漢の大関だった。初めてその姿を目にした時に感じたのは「まるで(幕内力士が使用する)控え座布団を全身にまとったような」250キロを超える大きさ。その姿に「ああ、お相撲さんを取材するんだな」と妙に自分に言い聞かせたことを覚えている。

その威圧感と対比するように、先輩記者たちと取材の場は常に笑いにあふれていたと記憶している。あの「圧」は相当のものだったが、取材対象の懐に飛び込みさえすれば溶け込むことが出来る。取材とは、そういうものだと教えられた。

そんな小錦さんだが、柔よく剛を制するという体重無差別の競技にあっては、筋肉質の体で綱を張った千代の富士や、当時は細身の貴花田(のち横綱貴乃花)の台頭にあっては、どちらかといえば「ヒール」の立ち位置に置かれていたように思う。

そんな中、91年九州場所から13勝2敗(優勝)、12勝3敗、13勝2敗(優勝)の好成績を収めたが横審への諮問はなし。「横綱になれないのは人種差別があるから。日本人ならとっくに横綱に上がっている」とのコメントがニューヨーク・タイムズに掲載され大問題になったが、のちにそれが付け人の発言だったことが判明。小錦さん本人に全く非はないのに、それが最後の優勝になり、2年後には大関から陥落。三役から陥落後、平幕で過ごした引退するまでの3年半は、陽気なキャラクターは消え、悲壮感さえ感じられた。

言葉の行き違いで誤解を生むこともあっただろう。識者から「外国人横綱は要らない」とさえ論じられることもあった。現役引退から部屋付き親方になるも、1年もたたずに協会を退職。その後は陽気なキャラクターでミュージシャンやタレント「KONISHIKI」として活動したが、角界で過ごした16年間は、決して納得いくものではなかったのではないか、つきまとったのは「悲運」の2文字ではないか…。そう勝手に推測しながら、この日の取材にあたった。

だが、それが浅はかな推測だったのは、小錦さんの言葉やパーティー開催に尽力した裏方さんの生き生きとした姿で思い知らされた。「みんなのおかげで僕はここまで来た。日本人になって、力士になって本当に良かった。18歳で日本に来て全国を回って言葉、食事、礼儀、文化…。みんな大好きになった。本当にみんなのおかげ。日本に本当に感謝、ありがとうの気持ちで、このパーティーを開いたんだよ」。2月から準備を始めたが、装飾なども「全て手作り。のぼりのデザインも業者なんか使ってない。今日のために元力士や裏方さんが考えてつくってくれたんだ」と話す小錦さんの顔が誇らしい。

この日のパーティーは所属するKP社の小錦さん本人を含めた社員5人に、高砂部屋で呼び出しとして活躍する利樹之丞さんや、小錦さんの現役時代の付け人ら全国から集まった数十人の裏方さんが、来場者をもてなそうと会場をせわしなく動き回っていた。協会を退職して24年。人徳があればこそ人は集まる。日本や相撲界に、恨みっこなどあるはずがない。パーティーには日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)、武蔵川親方(元横綱武蔵丸)、3代目横綱若乃花の花田虎上氏、小錦をスカウトした元関脇高見山の渡辺大五郎さんら角界関係者はじめ、プロレスラーの藤波辰爾らが出席し花を添えた。

そんな小錦さんも、自分の現役時との時代の変化を感じないわけにはいかない。「時代もだいぶ変わって、教える方法も変えないといけない時代だからね。根性も使えない時代。やりにくい時代だよね」。そう嘆く一方で、それでも相撲界の発展を願わずにはいられない。斬新なアイデアも飛び出した。「でもね相撲は文化。若い力士のために何とかならないかな。オオタニ(大谷翔平)を見たら、子どもたちは野球をやりたくなっちゃうからね」と前置きしながら「時代は変わっているんだから、もっと外国から力士が入ってもいいんじゃないかな」と現在は1部屋1人の外国人枠の門戸開放を提言。さらに続けて言う。「5年たっても幕下なら引退とかにしてクオリティーを上げて給料を上げる。500人でなく200人ぐらいのトッププレーヤーでやるとか。スーパースターを作るためにも、やりやすい環境を協会が作るようにすればね。相撲界が、もっと良くなるためにも協会は頑張ってほしいね」。来年の年末には還暦を迎える小錦さん。現役時代、プッシュプッシュで角界を席巻したパワーは発揮しようもないが、その情熱はいまだ衰え知らずに感じられた。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)