涙あり、笑いありの初優勝だ。優勝に王手をかけていた西前頭17枚目徳勝龍(33=木瀬)が、幕尻として初めて千秋楽結びに登場し、大関貴景勝を撃破。寄り切った瞬間に、感極まり涙を流した。

再入幕として史上初、幕尻としては史上2度目の快挙。場所中に死去した恩師、近大相撲部監督の伊東勝人さんに最高の恩返しをした。33歳5カ月の優勝は、年6場所制が定着した58年以降で3位、日本出身の力士としては最年長記録。奈良県出身では98年ぶり2度目、木瀬部屋では初となった。

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満員御礼の国技館に問いかけた。歓声が鳴りやまない優勝インタビュー。徳勝龍が「自分なんかが優勝していいんでしょうか?」と苦笑いを浮かべると、会場は和やかな笑い声に包まれた。出場最高位の大関貴景勝に勝って14勝目。文句のつけようがない、史上2度目の幕尻優勝だった。

支度部屋のテレビで2敗の正代が勝利する瞬間を見届けると、無言で立ち上がり準備運動を始めた。「(優勝なんて)できるわけないんやから、思い切っていけばいいと言い聞かせた」。負ければ正代との優勝決定戦にもつれ込む結びの一番。貴景勝の鋭い出足に下がらず、右上手をがっちりつかんだ。土俵際で投げを打たれても、堪える。「危ないと思ったけど、いくしかなかった」。倒れ込みながら寄り切り、吠えて、泣いた。「うれしいのもあったけど、15日間苦しかったかもしれない」。重圧から解き放たれた瞬間だった。

吉報を届けたい人がいた。7日目の18日、母校近大相撲部監督の伊東勝人さんが死去。55歳だった。しこ名の「勝」は伊東さんの本名からもらっていた。勝ち越せば真っ先に報告していた存在だった。明徳義塾高ではビッグタイトルと無縁も「1番熱心に誘ってくれたのが監督だった。大学にいってなかったらプロになっていない」。10日目から5日連続で土俵際の突き落とし。神懸かり的な逆転劇が続き「伊東監督が一緒に戦ってくれていた感じ」と、真っ赤な目で言った。印象に残っている恩師の言葉がある。「引くことは悪いことじゃない。その代わり、立ち合いはしっかり当たれよ」。体現するような終盤戦だった。

09年の初土俵から11年間、休場はない。連続出場847回は現役4位で「体を大事にした人が1番強い」と強調する。場所入り前にはストレッチを30分間、必ず行うのがルーティーン。支度部屋でまげを直すと、両足の膝下にボディークリームを塗る。香りは「ローズとジャスミン」。「乾燥するんですよ。冬場は特に」。肌の保湿も欠かさない“鉄人”は「けがをしても出られない人がいる。土俵に上がれるだけで感謝です」と何度も繰り返した。

前日から考えていた優勝インタビューで、相撲ファンをどっと沸かせた。「みんなめちゃ笑ってましたね!」。“相撲発祥の地”と呼ばれる奈良県出身の関西人。ユーモアを忘れない33歳が、歴史的な番狂わせを起こした。【佐藤礼征】

◆木瀬部屋 元幕内桂川が一般向けに開設した相撲錬成道場に力士志願者が出たため、1958年に相撲部屋となった。元幕内清の盛が67年に継承し、小結青葉山らを育てた。定年のため2000年に消滅。03年に現師匠(元幕内肥後ノ海)が三保ケ関部屋から独立して再興した。暴力団関係者に入場券を手配したことが発覚し、10年に一時閉鎖。力士らは北の湖部屋預かりとなった。12年に再興。番付人員は36人と全45部屋で2番目に多い。所在地は東京都墨田区立川。