元大関の関脇霧島(29=音羽山)が、14場所ぶり3度目の優勝を飾った。現行のかど番制度となった69年名古屋場所以降、陥落直後の場所で10勝以上の特例で返り咲いた例を除くと、魁傑、照ノ富士に次いで3人目の再昇進の可能性が高まった。復活の裏には入門時の陸奥親方(66=元大関霧島)と、同親方の定年に伴う転籍先の音羽山親方(40=元横綱鶴竜)という、2人の師匠の教えがあった。

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霧島の自宅には、1つの色紙が飾られている。「努力、自信」。23年夏場所後の大関昇進に際し、当時師匠だった陸奥親方から贈られたものだ。日本語を全く分からない初来日間もないころ、陸奥部屋の玄関に入ってすぐに置かれた石碑にも、同じ文字が刻まれている。陸奥親方は「努力が自信につながるという意味。努力の大切さを、全ての弟子に知ってほしくて玄関に飾っていた。あいつが色紙を今も、家に飾っているとは知らなかった」と、この日、うれしそうに話した。

大関に昇進したころ、霧島は出稽古先で何十番も取っていた。自身も「稽古が自信になる。それが夢をつかむと強く感じた」と、今も信条としている。加えて大関昇進前には、陸奥部屋に転籍してきた当時の横綱鶴竜(現音羽山親方)から多角的に強さを求めることを学んだ。新入幕当時に129キロだった体重が、現在の149キロまで増えたのは、当時の兄弟子が隣に座り、茶わん3杯のご飯を食べきるまで監視されるなどの食事面の改善が大きな要因。勧められた納豆は今や好物だ。

音羽山親方はこの日、好調な直近3場所の前に6勝9敗と負け越した、昨年秋場所に際して言った言葉を明かした。「中途半端にやるのが一番ダメだよ」。霧島は「親方に厳しく言われた」と記憶しているが、実は優しい口調。それだけ目が覚める言葉だった。音羽山親方は「やる気があるのかないのか。口先だけでやる気があると言っているのか。そういうところ」と、霧島の心の甘えを見透かしていた。首の痛みは、鍛えた背中で受け止めるよう助言した。努力、根性と多角的アプローチ。霧島の復活は2人の師匠なくして果たせなかった。【高田文太】

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