幕内経験者の人気力士、炎鵬(31=伊勢ケ浜)が、大けがから「歴史的カムバック」を果たした。
日本相撲協会は25日、エディオンアリーナ大阪で大相撲夏場所(5月10日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を開き、炎鵬の3年ぶり十両昇進を発表した。今月の春場所は東幕下4枚目で臨み5勝2敗。来場所は、23年夏場所以来となる十両再昇進を果たすことが決まった。幕内力士が序ノ口まで番付を下げた後、関取に復帰したのは史上初。大相撲史に残る復活となった。
脊髄損傷の大けがで、7場所連続休場し、十両から一気に序ノ口まで番付を落とした。その始まりとなった途中休場の23年5月の夏場所は、西十両3枚目で臨んでいた。だが初日から自己ワーストを更新する9連敗を喫し、10日目から休場した(10日目は不戦敗)。当初は「頸部(けいぶ)椎間板ヘルニアで約3カ月の加療を要す」との診断書を提出したが、後に脊髄損傷と判明した。その場所、途中休場するまでの壮絶な舞台裏を、炎鵬が明かしたことがあった。
炎鵬 突然、体の動かし方が分からなくなってしまったんです。歩こうとしても歩けない。頭では分かっているんですけど、どうやって足を前に出したらいいか、分からなくなって…。ベッドに横になろうとしても、どうしていいか分からない。何とか横になることができても、今度は起きることができない。場所が進んでいくと、いよいよ歩くことが難しくなって、土俵入りの時に、土俵に、なかなか上がることができませんでした。あの少しの段差を上がるのに、ものすごく時間がかかりました。
押し倒しで敗れた、同場所6日目の湘南乃海戦では、休場を余儀なくされる出来事があった。
炎鵬 湘南乃海関との一番で、触られてないのに、倒れてしまいました。そのころになると、風呂に入っても温度が分からなくなっていました。どんな温度の風呂に入っても、熱湯のように感じていました。もう正常な感覚がないんです。これは休むしかないと思いました。親方に「もう相撲を取れません。歩くこともできません」と言いました。
当時は宮城野部屋所属。当時の師匠、元横綱白鵬の宮城野親方に休場を願い出たのは「7日目か8日目だったと思います」。ただ、同場所の炎鵬は関取在籍29場所目。親方として日本相撲協会に残る資格を得る、30場所は目前だった。しかも結果的に、翌場所の番付が西幕下筆頭だったことを考えれば、この場所で1勝していれば、十両に残留し、関取として通算30場所目に到達していた。
炎鵬 親方(元白鵬)には「あと1番(1勝)、頑張れ」と言われました。親方も自分も、あと1場所で、おそらくあと1勝で、30場所になるのは分かっていましたから。でも…。どうしても体が、言うことをききませんでした。
あと1勝が遠かった。長期離脱の序盤は寝たきりの生活となった。それでも「完全まひではなく、不全まひだったので、まだ復活の可能性はあると信じていました」と、あきらめずに過酷なリハビリに耐えて再起し、この日を迎えた。
炎鵬 今は、あの時(関取通算)30場所に届いていなくて、よかったと思っています。この3年間の経験は、何ものにも替えられないと思うので。この3年間が、自分の財産です。
回り道してきた。だが、心身ともに3年前を上回っている自信はある。167センチの小柄な体は、初場所で自己最重量の109キロまで増量することができた。結果、以前よりも押されにくくなり、以前よりも押せるようになった。それでいてスピードも技のキレも健在。心は苦難を乗り越えた分、今が最も充実している。心、技、体、全てに一回り成長した炎鵬が来場所、3年ぶりに土俵入りや化粧まわし姿を披露。ついに“炎鵬関”が帰ってくる。【高田文太】

