大相撲で弟子の前頭伯乃富士に暴力を振るった、伊勢ケ浜親方(34=元横綱照ノ富士)の処分が決まった。委員待遇から年寄への2階級降格と報酬10%減額(3カ月間)が科された。過去の暴力問題と照らし合わせると、一時的にでも部屋の閉鎖などの厳しい処分が科されかねない事案。そうならなかった理由について、常習性がなかったこと、自ら報告したことなどが挙げられるが、最大の理由は実績なのかもしれない。
両膝のけがや糖尿病などで、大関から序二段まで番付を下げながら、その後、横綱まで上り詰めた。この経験は、今後、誰も成し遂げることができないかもしれないほど空前絶後の復活劇。実はけがするたびに、復調するまでの稽古内容、トレーニングメニュー、体に感じた異変や復調ぶりなどを、丁寧にノートに記していた。「人に教える立場になった時も役立つと思って」。最後の、通算10度目の優勝となる24年7月の名古屋場所前、未来を想像しながら明るく話したことがあった。伊勢ケ浜親方にしか、教えられないことがある。
先代伊勢ケ浜親方の現宮城野親方(元横綱旭富士)から、師匠の座を引き継いだ時点で、所属力士数も、関取数も全部屋最多だった。伊勢ケ浜部屋は強くなければならない-。その思いが強まるのは、無理もない状況で代替わりした。自然と稽古は厳しさを増した。力士数が多いとはいえ、正午近くまで続くのは“朝稽古”としては最長だろう。相撲に対して、指導者としては「超」が付くほどまじめだった。
3月春場所で新三役の小結に昇進した熱海富士には、十両時代の映像を自ら探し「この時の方が前に出る意識が強いじゃないか」と、課題を本人に気付かせ、成長へと導いていた。各力士に合った指導を模索、実践してきた。
また2月には、いわゆる「推し活」の活性化を目指し、企業とタイアップしていくことで合意したと会見で発表していた。その際に「相撲は長い伝統、文化を何より大切にしていますが、新しいデジタルやAIを活用して、より多くのファンの方たちと深く関わり、もっと世界中に相撲を知ってもらうきっかけを一緒に広げていけたら」と語っていた。具体的には「パーティー(での交流)とか、番付表を送るぐらいしかなかった」という後援会組織を、もっと身近に感じてもらえるようにしたいと意気込んでいた。
横浜市には、相撲の普及を目指し、日産スタジアム脇の新横浜公園に土俵を寄贈した。さらに同様の試みは、すでに複数箇所で話が進んでいるといい「大阪、名古屋、神戸、(静岡県)浜松。いろんなところから声が掛かっています。まずは相撲をやったことのない子たちが、相撲とふれ合う場面をつくれたら」と、夢を語っていた。そんな実績が、志半ばで師匠の座を奪わせたくないという、大なり小なりの声となって、処分結果に影響を及ぼしたとしても、不思議ではない。【高田文太】

