「リングリング・サーカス」の日本公演が行われたのは88年9月のことだ。開催地は東京・汐留。電通や日本テレビが本社を構え、今やピカピカのスポットとなっているが、当時は旧国鉄汐留駅の跡地として何もない広場だった。そこに7000人収容の巨大テントがこつぜん現れ、道一つ挟んだ新橋第一ホテルからの眺めは壮観だった。

 公演では、赤と黄を基調にした色使いが眩かった。目玉のゾウのショーは圧巻。足裏の大きさまでまじまじと実感した。馬にメークをほどこした一角獣のクオリティーも高く、幼稚園に通っていた娘たちは「ユニコーン」の存在を信じて疑わなかった。

 正確に言えば「リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス」の創始者、P・T・バーナムにスポットを当てたのが「グレイテスト・ショーマン」(2月16日公開)だ。

 19世紀前半の米国。貧しい商人の息子として生まれたバーナムがいかにして「世界最大のサーカス」を築き上げたのか。すすけた街並みにカラフルな衣装を映えさせ、ミュージカルに仕立てたのがこの作品だ。演じるのが「レ・ミゼラブル」(12年)でもミュージカル出身の本領を発揮したヒュー・ジャックマンだから間違いない。

 度重なる苦難とわずかな幸運で手にした資金をもとにバーナムが最初に始めたのが博物館だ。実態は日本の地方に点在する「秘宝館」のようなもので、世界の珍品を陳列しただけだから、当然、客は入らない。

 ゾウの剥製を見たバーナムの娘たちは「動かないからつまらない」。この言葉が彼を動かす。旧来の「常識」に縛られ、ひと目を避けて暮らしていた極端に背の低い男性や多毛症の女性を次々にスカウト。コンセプトは見せ物小屋に変わっていく。

 「見せ物」という後ろめたさを、彼らに自立の機会や、生きがいを与える、というバーナムの理屈がしのいでいく。ショー・ビジネスの底にあるタブーをジワッとにじませているのもこの映画の持ち味だ。

 ここに生きた動物や曲芸師も加わり、「サーカス」の原型が形作られていく。一方で、バーナムは上流階級に認められるために採算度外視でオペラ公演に手を染め、興行師としての酸いも甘いも味わっていく。眩かった記憶のせいで、「リングリング・サーカス」の由来にこだわってしまったが、希代の興行師とその家族の泣き笑いが、タイトルも表しているこの映画の主題である。

 ミュージカル面では時代背景の重さ、そしてサーカスという見栄えで「ラ・ラ・ランド」より王道感がある。オープニングの「ザ・グレイテスト・ショー」に始まるオリジナル曲にはほどよい重さがある。

 ローレンス・マーク・プロデューサーがこの題材を思い立ったのはジャックマンがアカデミー賞授賞式の司会を務めた8年前というから、歌も振り付けもしっかり作り込まれている。

 手足の長さを印象付けるジャックマンの踊りはもちろん大きく素晴らしいが、サーカスの個性的な面々の群舞が何よりの見どころだ。

 「リングリング・サーカス」は昨年5月の興行で150年の歴史に幕を下ろした。3年前、動物愛護団体の反対で1番人気のゾウのショーを中止したことで収支が悪化。盛り返すことはできなかったという。まさに時代の流れを象徴する出来事だ。企画が持ち上がった8年前には、ジャックマンやマーク・プロデューサーはこの事態を予想できなかったろう。

 世間に抗い、時代を切り開いたベイリーがもし生きていたら、この「サーカスの危機」にどう対処しただろうか。【相原斎】

「グレイテスト・ショーマン」の1場面 (C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
「グレイテスト・ショーマン」の1場面 (C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation