007シリーズに登場するMはMI6(英秘密情報部)長官で、ジェームズ・ボンドの上司に当たり、時に作品のキーマンとなる。第2次大戦中に海軍情報部(NID)に所属していた原作者イアン・フレミングが当時の部長ジョン・ヘンリー・ゴドフリー提督をモデルにしたこともあって、歴代M役はほぼ貫禄のある男性が演じてきた。

ただ1人の女性がジョディ・デンチ(85)だが、60歳で「ゴールデンアイ」に登場して以来、すっかりこの役になじんで、計8作に出演。「スカイウォール」(12年)では実戦に参加して殉職、次作「スペクター」(15年)にもビデオレターで登場するなど、存在感を示した。

そのデンチが00年にMI5(英情報局保安部)に摘発された「ばあばスパイ」ことジョーン・スタンリーを演じるのが「ジョーンの秘密」(8月7日公開)だ。まずは配役の妙にそそられる。

このばあばスパイの容疑は第2次大戦中の核開発の機密を旧KGBに漏えいしていたというもの。他の罪状なら、とっくに時効が成立しているような過去の話である。ジョーンはどこにでもいそうな老女だが、よく見れば泰然自若とした空気が漂う。M役で見せた貫禄が、信じられないような実話にリアリティーを与えている。

息子で弁護士のニック(ベン・マイルズ)は、それまで聞かされていた母親の「平凡な人生」を信じ、無実を前提に弁護を引き受けるが、しだいに明らかにされる隠された才能や「華麗」な経歴に驚き、怒り、嘆かされることになる。

純真で探求心にあふれた理系女子は、いかにしてKGBに取りこまれたのか。核開発競争にきゅうきゅうとする研究者の男性社会を冷静に眺め、核戦争回避の視点から行動したジョーンを反逆罪に問うことは正しいのか。彼女が終始英国を愛し、スターリンの独裁に嫌悪感を抱いていたことも明かされる。

ジョン・ル・カレの小説に出てくるような複雑なスパイ心理が実話に添って描かれる。

若き日のジョーンを演じるのが「キングスマン」(14年)でスパイ訓練生役を演じたソフィー・クックソンで、こちらも「秘めた聡明(そうめい)さ」を巧みににじませている。

英国スパイ作品の陰影や奥深さを生み出す歴史的背景を改めて実感させる一編だ。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)