AKB48グループ3代目総監督の向井地美音(22)が各界のリーダーから学ぶ「リーダー論」の第11回は、「第97回東京箱根間往復大学駅伝」(来年1月2、3日)で連覇を狙う、青山学院大・原晋監督(53)の後編です。
原監督が、アイドルグループでも、会社でも、すぐに実践できる方法を伝授してくれました。
【取材・構成=大友陽平】(今回の対談は今秋に実施しました)
向井地 前編では、リーダーとして必要な資質や、組織を動かす時に必要なことなどを伺いました。さて、青学大の駅伝チームにもいろいろな目標をもって入ってくる選手がいると思います。個人とチームのバランスみたいな部分はどうされていますか?
原 これは指導者側の問題かなと思います。これは推測ですけど、きっとAKBを立ち上げた時は、共通の理念がある中で、グループとして輝かせようというマネジメント手法だったと思うんです。青学も0から作りましたが、最初から「オリンピック(五輪)選手を作る」「突出した選手を育てよう」というよりは、チームの輪をどんどん大きくしていきました。例えば、学生のうちから五輪選手を生み出そうとした時には、個別の指導が必要になります。そうすると指導者もその選手に集中してしまったり、偏りが出てくるので、チームとしての力は若干下がってしまうんです。もしそういう選手に集中させる場合は、指導者側が手厚くサポートできる体制を整えたり、特別扱いをする文化が悪いことではないというマインドを作っていかないといけません。だから、チーム内で理念が共有できていないと、チームは崩壊してしまいます。
向井地 AKBに入ることが目標というメンバーもいるんですけど、青学大も駅伝チームに入ることが目標という選手もいらっしゃるんですか?
原 その部分は、よく全体ミーティングでも言いますね。入ったから強くなれるわけではないよと。
向井地 それでも、入って満足してしまう人もいると思います。
原 前提として、個人的に言うことはないかな。ずっと1対1で言い続けるのはかわいそうだけれども、例えば50人の前で言えば、その部分は薄まる。全体の中で「君のことを言ってるんだよ」というニュアンスで言ったら、それ以上は言わない。全体の中で言われたら、本人もグッと入ってきますから…。それで、自分では頑張っているつもりかもしれないけど、第三者の評価も含めて、結果は出るんだよということを言っています。ただただ練習して、「僕、頑張ってます」と思っているだけでは、世の中そんなに甘いもんじゃないと。小中学校の義務教育の中ではなくて、大学は学びの場ではあるけれども、選ばれた者が1つの目標に向かって…我々でいえば、箱根駅伝で優勝という理念を持って戦う集団なんだと。ただ入って、そこにいますというのでは困りますというのは、言いますね。やってる種目は違うけれど、他のスポーツとか、アイドルの世界でも、基本一緒だと思います。
向井地 あと、AKBではメンバーが卒業したり、何年か一度には、エースが卒業する時もやってきます。大学生も4年で入れ替わりますよね。エースの卒業の時にどうされていますか?
原 そういう話でいうと、力はなかったけれど、監督になった初期は、チームとして「自らの手で何かを成し遂げよう」「夢に向かって実現しよう」という、自己実現意欲みたいなのは強かったです。さらしのキャンパスに、新しいデザインを全員でデッサンしていこう、夢や希望に向かって努力をしていこうと。究極、そういう精神が失われたのであればやらない方がいい。そこまで突き詰めて物事を考えないといけないんですね。だから、例えばAKB48の存在意義…これからどうすればいいのかを1人1人が考えていかないと、ただいるだけで存在してるだけだと、ある日突然、なくなってしまうこともある。これは我々も同じで、チャレンジ意欲とか、改革マインドを1人1人が持って前に進んでいかないと、ハッと気付いた時には、チームは没落するよと。下から追いかけるのは、目指すべき目印があるから強いんです。だから組織としては、中にいる人間が何を考えているのかが大切だし、だから口酸っぱく理念の共有をしていかないといけないんですね。
向井地 なるほど…。
原 きっと最初は秋元康さんが理念を作ったんだと思うんです。でもある程度のところまでいって、ある意味落ち着いてきて、次の革命を起こすのであれば、現場のリーダーたちが腹を割って話して、自分たちで理念を作る。そして、それを秋元さんに伝える。「私たちはこういう組織をつくりたいんです!」ということをやったら、自分事になっていく。ではそれをやるためにはどうすればいいのか? というのを、これまたリーダーがコンセプトを決めて、現場に落とし込んで、ディスカッションして、自分事として捉えて作り上げる、それをやらないと発展はないでしょう。ただ、15年続いているのは、すごいことですよ! 俺も監督17年目のシーズンだけど、しんどい時もあるよ(笑い)。
向井地 ありがとうございます! 原監督が、決断する時に大事にしていることは何ですか?
原 筋がいいかどうか…ですね。ブレたくないし、自分の気持ちを隠してまでの仕事には就きたくないし、素の自分が表現できる場所でチャレンジしたいというのはあります。自分が頑張れるポジションで頑張る。これまでの日本社会は「強みと弱みのどっちを優先するか?」となると、どちらかというと弱みを補うマネジメント手法が強かったんです。強みを見せると、「何を偉そうに」とか「勘違いするなよ」という文化なんです。我慢して生きてきた文化なんだけれども、僕は選手たちの強みをいかに引き出してあげるかということを考えて指導しているつもりです。だから300人いるメンバーの強みや良さを1つずつ見つけてあげて、声掛けをしてあげることで、そのメンバーのテンションがガッと上がる。これはテクニック論だけれども、心理学の基本なんですが、「初頭効果と親近効果の有効活用」というのがあって、人間は最初の言葉に影響されやすいんだけれども、さらに影響されやすいのは、最後の言葉なんです。だから指導する時も、最初に課題を言って、最後に良いことを伝えてあげるんです。そうすると「怒られた」ではなく「アドバイスをもらえた」となるんです。
向井地 なるほど! 覚えておきます。すぐに使えますね。
原 あと、怒る時は本気で怒る。ただ、その事象にだけ怒ります。よく別のことをひも付けて怒ってしまいがちですよね。逆に、こちらが指導している時に、選手が違うことで言い訳をしてしまうこともあるんだけれども、すり替えはさせないようにしています。
向井地 少し戻るんですけど、決断をされる時に、ブレずに持っているのはどんなところですか?
原 これはうちのチームの行動指針でもあるけれど「人に感動をもらうのではなく、人に感動を与えるチームになろう」。愛される組織、感動を与えられる組織を目指すことを意識しています。ただ勝った負けたの自己満足でやるのではなく、我々の走りを通して、いかに感動をお届けできるかということを考えています。
向井地 そのためにできることを考えているわけですね?
原 答えは1つではないから、コンセプトを与えて、あとは、それぞれの立場で考えなさいと。それで問い掛けていくと、どんどん出てくるものです。
向井地 あと「成功体験を感じることが大事」と著書にもありました。どういう風に感じてもらえたらいいですか?
原 それは「自分の言葉で目標を定めること」と「その目標を可能な限り数値化させること」です。「私、頑張ります!」という抽象的なことではなくて、できる限り数字に落とし込むんです。
向井地 例えば以前、劇場公演でパフォーマンスMVPというのをファンの方にアンケートをとったりすることもあったんですけど、それで1番になる…ということですか?
原 それは結果論なので、「1番になるため」に何をすればいいのかという具体的な努力目標を、数字に落とし込む。例えば、1人1人が自分の強みと弱みを5つずつ挙げてみて、今後やりたいことリストを作ってみるとか、ツイッターのフォロワーの数はランキングに出そうとすれば出せますよね? そうしたら、ランキングを上げるために、「1日5回、月間150回ツイートする」とか、具体的な数字にする。
向井地 なるほど…。
原 告白に置き換えれば、ただ「好きです!」というのではなくて、どんな言葉を使おうとか、どんなシチュエーションにしようとか、どんな服を着ようとか…いろいろ作戦を考えるでしょ? それは自分事として、こういう努力をするとか、でもそれは1日では培われないので、長期的な設計を考えていくわけです。青学の監督になった時は、5年で箱根出場、10年以内にシード権獲得、10年後に優勝争いできるチームを作るという目標を立てました。何度も言いますが「箱根を通じて、社会に有益な人材を作るという」という理念を作って、それに伴う行動指針や目標、具体的な戦術が出てくるわけですね。
向井地 これもすぐに実践できそうです!
原 もちろんメンバーの皆さんも、たくさん努力していると思う。トーク術を上げるために、キーワードを10個出して、毎日10分討論し合うとか…。いろいろできますよね?
向井地 はい! 早速やってみようと思います。
原 今日話した組織論やリーダー論は、どんな職種とかジャンルのカテゴリーでも同じなんです。ぜひAKBのみんなに話すことがあったら、そのミーティングに出て講師をしようかな(笑い)。
向井地 機会があったら、ぜひお願いします!! 今日はありがとうございました。(おわり)
◆原晋(はら・すすむ)1967年(昭42)3月8日、広島・三原市生まれ。中学で陸上を始め、広島・世羅高3年で全国高校駅伝準優勝。中京大ではインカレ5000メートルで3位入賞。89年に中国電力陸上部創設とともに入社。故障に悩まされ、95年に引退し、同社で営業職でサラリーマンに。営業マンとして新商品を全社で最も売り上げ、「伝説の営業マン」と呼ばれる。04年4月に青学大陸上部監督に就任。09年大会で33年ぶりに箱根駅伝出場を果たし、15年に箱根駅伝初優勝。翌16年の箱根駅伝で連覇と39年ぶりの完全優勝を達成し、17年には史上初の箱根駅伝3連覇&大学駅伝3冠を達成。18年まで4連覇。19年は優勝ならずも、今年の箱根で大会新記録で王座奪還を果たす。19年4月からは、地球社会共生学部の教授として教壇に立ち「リーダー論」の講義を行っている。