テレビの辛口コメンテーターとして活躍したコラムニスト、勝谷誠彦(かつや・まさひこ)さんが28日午前1時48分、肝不全のため、兵庫県尼崎市内の病院で亡くなった。57歳。今年8月にアルコール性の劇症肝炎で緊急入院し、10月10日に退院。驚異的な回復で仕事復帰も果たしていた。今月5日のラジオ収録を最後に検査入院したが、回復に向けて治療を続ける最中に体調が急変。弟友宏さん(53)にみとられ、息を引き取った。

回復に向かっている中での急変だった。愛飲家の勝谷さんは8月21日、アルコール性の劇症肝炎で都内の病院に緊急入院。黄疸(おうだん)や腹水の症状があったが、驚異的な回復で10月10日に退院していた。同20日には、尼崎市内で毎年恒例の講演会で、車いす姿で舌鋒(ぜっぽう)鋭い勝谷節をさく裂させた。

退院後は尼崎市内で医院を開業している弟友宏さんの自宅で療養。今月5日には、大阪市内でレギュラーラジオ番組を収録していた。徒歩で移動するなど、体調面に問題はなく、翌6日に都内の病院へ検査入院。回復傾向にあったため、同23日から地元の尼崎市内の病院へ転院した。

容体が急変したのは26日深夜。肝硬変の症状が急激に進み、酸素濃度が低下。27日には緊急集中治療室(ICU)に移されたが、回復しなかった。10年間を共にしてきた担当マネジャーは「まさか死ぬとは思わなかった」と、急死の現実を受け入れられない様子。最後の仕事となった5日のラジオ収録時も勝谷さんから「(体調は)大丈夫だよ」と聞いていたという。

この日、尼崎市内で通夜が行われ、喪主友宏さんは、勝谷さんが「ただ生きるな、よく生きよ」とのモットーをまっとうし「ある意味燃え尽きた」。勝谷さんらしい人生を振り返った。

物おじしない発言は番組のスパイスとなり、日本テレビ系「スッキリ」や、地元の読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会(当時)」カンテレ「胸いっぱいサミット」などに出演。夕方の報道番組でも活躍した。

昨年7月には兵庫県知事選へ出馬。その数カ月前に亡くなった母親は「政治家と宗教家にはなるな」と遺言していたと言いながら、現職の井戸敏三知事と争い、敗れた。友宏さんによると、勝谷さんは「地元尼崎だけは勝った」と、誇らしげに話していたという。

葬儀・告別式は29日午後1時から尼崎市西長洲町3の7の7、阪神平安祭典会館で行われる。喪主は弟友宏(ともひろ)氏。

◆勝谷誠彦氏(かつや・まさひこ)1960年(昭35)12月6日、兵庫・尼崎市生まれ。灘中、灘高、早稲田大卒業。85年に文芸春秋に入社。「週刊文春」「文芸春秋」「マルコポーロ」などで、カンボジア内戦や湾岸戦争などの報道も手掛けた。後にフリーとなり、辛口コラムニストとして、日本テレビ系「スッキリ」、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」などに出演。17年の兵庫県知事選に立候補し、現職の井戸敏三氏に敗れた。