歌手橋幸夫(はし・ゆきお)さん(本名橋幸男=はし・ゆきお)が肺炎のため、4日午後11時48分に亡くなったことが5日、分かった。82歳。所属する夢グループが発表した。

橋さんは歌手引退の1年前にあたる22年5月3日付の本紙にインタビューが掲載されている。当時の肉声を再録する(年齢は当時のまま)。

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橋幸夫(79)が今日5月3日に79歳の誕生日を迎えた。来年の80歳の誕生日で歌手引退を表明しており、ちょうどラスト1年となった。もっとも引退後に隠居するわけではない。4月から京都芸術大通信教育学部書画コースに入学して、新しい夢と人生をスタートさせた。さらにオファーがあれば歌以外の芸能活動は続ける意向だ。ますます意気軒高である。

 

橋は昨年11月に、23年5月3日の80歳の誕生日をもって歌手を引退すると表明した。長引くコロナ禍で歌う機会が激減。年齢もあり、医師に回復は難しいと言われるほど声帯が衰えていた。もちろん声はまだ出る。だが60年以上歌謡界を支えてきたプロとして許せなかった。「(引退と言わず)ずっと歌っていない先輩もいる。僕は1つのけじめをつけたかった」。

今日3日が79歳の誕生日。引退までラスト1年になった。「(歌以外の)オファーがあれば喜んでやらせていただきますが、新しい人生も当然考えました。僕は17歳でデビューしたので、高校にほとんど行けなかった。もう1度、学び直したいと思った。80歳になったから(学びは)終わりじゃないですから」。

すぐに実現した。4月に京都芸術大(左京区)の通信教育学部書画コースに入学した。かつてアート的なキャレ文字(Carre MOJI)のスクールに通ったことがあった。その先生が同大の講師になり、今春、書と水墨画を学ぶコースが新設されると教えてくれた。「リモートで学べますし、僕にとって奇跡のようなタイミングでした。どうせなら1期生がいいと家内にも言われ、引退を待たず願書を出しました」。4月3日の入学式では新入生代表として「新しい夢と人生のスタートを切られることに喜びを感じます」とあいさつした。

引退コンサート「人生は長いようであっという間 夢を持って生きよう!」の真っ最中である。昨年暮れから来年の誕生日まで、全国約160カ所を回る予定だ。「ここまで大病がなくて恵まれていたと思います」と語るほど、健康には気を使ってきた。

05年に「盆ダンス」という曲を発表した。60代となり、ファンの健康も意識して、踊りに手のひらを握ったり開いたりするグーパー運動を取り入れた。「パッと手を開くだけで、心臓から血が体中に行くんです。年を取ったから動かない、座っているだけ、歩かないでは病気になります」。

2月に御三家の1人、西郷輝彦さんが75歳で亡くなった。御三家にまつわる逸話がある。橋は中学2年生で日本コロムビアの専属作曲家だった遠藤実さんに師事した。遠藤さんが橋のために準備した芸名は「舟木一夫」だった。だが橋はビクターからデビューすることになり、ビクターの専属作曲家だった吉田正さんが本名を参考に「橋幸夫」と命名してくれた。「遠藤先生に報告したら『そうか、残念だな…』って。それで探したんでしょうね。3年後、コロムビアから今の舟木一夫君がデビューするんです」。

あらためて歌手引退について聞いた。「芸能界自体が激変している。我々の時代の、(御三家のような)先輩だ後輩だという雰囲気がなくなってしまったしね」と話した。歌謡界大全盛を築き上げた橋の顔が、この時だけ曇った。

◆橋幸夫(はし・ゆきお)本名・橋幸男。1943年(昭18)5月3日、東京都生まれ。60年に「潮来笠」でデビュー。吉永小百合とデュエットした「いつでも夢を」(62年)と「霧氷」(66年)で2度日本レコード大賞を獲得。「恋をするなら」「恋のメキシカン・ロック」「子連れ狼」などヒット曲多数。血液型A。

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