歌手湯原昌幸(78)が、5日に徳間ジャパン移籍第1段となる新曲「どうかしてるね」を発売した。ラテンタッチの曲調で、長年連れ添った女性から三くだり半を突きつけられて戸惑う男の心情を歌っている。作詞は「残酷な天使のテーゼ」の及川眠子氏(65)、作曲は「天城越えの」の弦哲也氏(78)という、対極の2人の斬新な組み合わせだ。湯原に聞いてみた。【小谷野俊哉】
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来年3月には79歳になる。70代最後の歳だ。
「新たに何かをやるって言っても、やることは全部やってきたからね。歌って、芝居して、コメディーやってね。だから、あと何をやるかと言ったら、その中でできることを、もう1度やろうと。できるうちにね」
1983年(昭58)、当時23歳で歌手、タレントとして売れっ子だった荒木由美子(65)と結婚。13歳も年上の湯原と結婚して、引退することは大きな話題を呼んだ。荒木は20年に及ぶ湯原の母の介護も経験して復帰。芸能界きってのおしどり夫婦として知られている。
「同じ業界にいるので、仕事の内容も把握している。感性も近い。これ以外の何ものでもないですよね。血液型も同じB型だしね。そうじゃないと、僕のおふくろを20年も介護する努力も、気力もないはずなんですよ。13歳の年齢差で始まった2人なんだけど、結局、結婚したらもう年の差はどこかに行っちゃった。ツー・ペイ(プラスマイナス・ゼロ)になって、あとは2人の生活。子供が生まれておばあちゃんと4人の生活が始まって、おばあちゃんが亡くなって、子供が独立して、今は完全な2人っきり。まあ、結婚話は誰の参考にもならないですよ。本当、それは2人だけの問題だから。今言ったように相性とか、お互いの努力とか。少なくとも僕と由美子は、お互いにこの穏やかな生活をキープするための努力をしているということ」
結婚して42年。36歳と23歳の夫婦は、78歳と65歳の夫婦になった。
「この間、飲んだ後の帰り道で由美子の後ろ姿を見ていて、これがあと10年、20年ぐらいしか続かないんだと思ったら悲しくなってきちゃった。俺は120歳まで生きるつもりだからね。あと何年かは分かんないけど、ただこの2人の関係がもう終わるのか、つまりどっちかが逝くっていくことだからね」
湯原が120歳まで生きれば、荒木は107歳。
「そんなにまで働いたり、何かをやったりはしないだろうけど、しゃべれて、頭もボケちゃってるわけじゃないのがいいね。あー、忘れちゃったな、ぐらいのことでね。昔の長寿世界一と言われた泉重千代さんにしても、100歳オーバーの双子のきんさんぎんさんにしても、そこそこ元気だったからね。100歳までって言っても、俺もあと20年ちょっとしかないもんね。その20年が嫌だなと思ってね。もうちょっと時間くれないか、みたいな。元気と時間が、同じようにほしいです。もっと時間と元気を頂戴っていうのが結論ですね」
酒を飲みながらすしを握ることもある。
「お酒も飲んでます、大酒は飲まなくなったけどね。休肝日もちゃんと作っていますよ。でも、つい飲み過ぎちゃう時もある。この間も、ビールで始まって、ワインと日本酒の『十四代』の一升瓶。鯨のベーコンは食うは、鴨そばは食うは。あとマグロのさくを持って来て、その店ですしを握るの。“昌鮨”って言って、そこで握るのが好きなのよ。本当はすし職人になりたかったの。まだ築地に市場があった頃に、仕事ですしのリポートに行ったら、そこがなかなか良くてね。カウンターしかない店なんだけど、そこが気に入ったの。そうしたら、豊洲に移転して行っちゃった。もう遠いから行かなくなっちゃったけど、すし屋に弟子入りしようと思ったくらいだからね」
見よう見まねで、自分ですしを握り始めた。
「最初のうちは、握って置いてもコロッと倒れる。それで皆に笑われてたんだけど、今はしっかり握れます。皿盛りとかも作りますからね。昌鮨は“歌いながら握る”っていうかね(笑い)。ちゃんと昌鮨ののれんも作って、前掛けも作ったの」
歌い続けながら、人生を楽しみ続けている。
(終わり)
◆湯原昌幸(ゆはら・まさゆき)1947年(昭22)3月5日、茨城県牛久市生まれ。64年バンド、スウィング・ウエストに加入してボーカル。70年に「見知らぬ世界」でソロデビュー。71年の「雨のバラード」が120万枚の大ヒット。83年に歌手荒木由美子(65)と結婚。03年(平5)「冬桜」がヒット。血液型B。



