タレント鈴木杏樹(本名・山形香久子=43)の夫で外科医の山形基夫(やまがた・もとお)さん(享年56)の通夜が13日、東京・築地本願寺でしめやかに行われた。

 2月1日に米国で治療中に亡くなった夫の最後の様子を初めて語った。

 --病気はいつから

 鈴木

 数年前です。

 --死因、病名は

 鈴木

 夫は医者(一般人)なのでプライバシーは守ってあげたい。病名は控えさせてください。

 --訃報はいつ知った

 鈴木

 仕事中でした。「ZIP!」へ家を出発する前でした。ご連絡をいただいて「大変危険な状態です」と。本番の真ん中ぐらいに留守電を聞きまして、ご連絡をさせていただいて、その時に「意識がなくなりました」という話でした。そのまま本番が終わって、電話をしました。本番が終わって3、4時間後に亡くなったと連絡をいただきました。

 --最後の会話は

 鈴木

 アメリカの病院の先生が心温かい先生で、電話を(夫の)耳元に当ててくださった。意識がない状態でしたが「声を掛けてやってくれ」と。掛けて間もなく亡くなりました。その先生が「ちょっと笑ったような感じがした」と言ってくれて、それが胸に来ました。

 --どんな声を掛けたか

 鈴木

 名前を呼びかけました。とっても感謝をしているので「ありがとう」と言いました。本当に病気と闘うのを頑張っていたので「頑張ったね」とも言いました。ほんの数秒でした。もう必死でしたね。

 --いつ夫と対面した

 鈴木

 翌日にアメリカへ行きました。今日までどこかで信じられない、ピンと来ない。ただ目の前に現実がありました。目の前で寝ているように見えました。「なんてね」などと言って起きそうな感じがしました。

 --何か言葉はかけたか

 鈴木

 言葉は掛けてないです。意識の中でお話ししました。主人からたくさんメッセージが伝わってきた。(日本からの)ご同行の先生や治療してくれた先生に本当にありがとうと言っていました。

 --どんな夫だったか

 鈴木

 今日いらしてくれた全員が言っていました。自分よりも患者さんのことを考えてくれる人だったと。自分のことより家族や他人を思う人だった。皆さんの温かい気持ちが伝わりました。たくさんの人が会いに来てくれて(夫に)「本当に幸せだね」と話しかけました。とにかく(私を)守ってくれた。(私の)体を治してくれたことがきっかけで(出会って)、それからずっと私のことを支えてくれた。

 --渡米予定はあった

 鈴木

 (亡くなる)1週間後に行く予定でした。

 --容体が急変した

 鈴木

 そうですね。夫は(亡くなる)1週間前に渡米しました。それが最後の会話。「じゃあね」といつものように明るく言ってました。本人も帰ってくるつもりでしたから。これが今生の別れになるとは思っていませんでしたから。

 --どんな表情が思い出される

 鈴木

 良い笑顔しか思い浮かばない。

 --一番思い出されることは

 鈴木

 お仕事の関係で海外に連れて行ってもらった。いろんな国に連れて行ってくれた。

 --最後に言葉を掛けるとしたら

 鈴木

 ありがとう。