はるか遠くに感じていた関取が、少しずつ見えてきた。東幕下59枚目の雷道(21=雷)が今場所、幕下で初の勝ち越しを決めるなど奮闘中だ。この日は西三段目5枚目の行徳に、立ち合いから右を差され、左もねじ込まれ、もろ差しを許す苦しい体勢。雷道は左上手を引き、右はおっつけて粘ったが、寄り切られた。残り1番で4勝2敗。前日18日に誕生日を迎え、21歳最初の白星はお預けとなった。
取組後は「左(上手)はもう少し浅いところを取りたかった。当たって前みつを取って、前に出たかった」と話し、悔しさをにじませた。ただ、現在の116キロは自己最重量。今年に入って4キロ増えた。筋肉質な上半身は一回り大きくなった。「押されにくくなったし、押せるようになりました。前は、稽古が休みの日にはあまり食べなかったけど、今は休みの日に食べるようにしています。稽古の日に食べても、消費したカロリーを取っているだけで、体重は増えないので。大阪だと、たこ焼きがおいしいので食べています! 好きなものを食べて、体重を増やすようにしています」。柔道部に所属していた、東京・修徳高2年時の運動能力検査で、50メートルを5秒9で走ったこともある。もともとスプリンター体形で、太りにくかったが、徐々に182センチの体は、厚みが増してきた。
通算3場所目の幕下で、初めて勝ち越した。先場所の東幕下45枚目が自己最高位だったが、これを上回る見通しだ。雷道は、この日の取組後に「徐々に関取という地位が見えてきました。幕下に定着して、年内には幕下上位に上がりたい。早く十両に上がりたい」と、将来を思い描いて話した。
本名は山田ネリー。ナイジェリア人の父は、両親が離婚した小学3年以降、会っていない。母の山田珠己さんは、24年夏に亡くなった。52歳の若さだった。お盆で部屋の稽古が1週間休みとなった24年8月10日に、埼玉・草加市の実家に帰った際に、自宅で亡くなっているのを発見した。すでに死後1カ月程度経過していた。この日、雷道は「命日は7月7日、七夕なんです。推定されるのが、その日ということでした」と、警察から伝えられた死亡解剖の結果を明かした。
初の命日だった昨年の七夕は、幼少期に母と一緒に写った写真をじっと見つめていたという。「小さい時の写真ですね。その写真を見ながら『相撲を頑張っているから、見守っていてね』と、心の中で母に話しかけていました」。
母の死から2年近く経過するが、部屋では今も、師匠の雷親方(元小結垣添)から、変わらないゲキが飛ぶという。「母ちゃんのためにも頑張れ!」。天涯孤独となった24年のお盆休みから部屋に戻った際に「今日から、オレがお前の親だ」と、言ってくれた恩人でもある。師匠への恩返しが、何よりの原動力で、背中を押してくれる。「将来は幕内後半で取りたい」。師匠の番付に並び、さらには超えることができれば、それが何よりの恩返しと知っている。まずは1歩1歩、関取の座を求めて前に進んでいく。【高田文太】

