「気遣いの人、高倉健さん」中井貴一の話を聞いて、改めて思い起こした

【番記者裏話】スクープや芸能界の最新情報を求めて現場を駆け回る芸能記者が、取材を通じて感じた思いをつづります。

中井貴一が明かした高倉健さんのエピソード。取材で触れた高倉さんの温かみを思い起こしました。

番記者裏話

村上幸将

中井貴一(60)の話を聞き、高倉健さんが気遣いの人だったのだと改めて思い起こすとともに、記憶の中にある高倉さんの人への気遣い、心遣いを思い、心が温かくなった。

中井は9日、都内で行われた主演映画「大河への道」(中西健二監督、20日公開)先行プレミア上映会の檀上で、人生で鳥肌が立った経験は? と質問された。それを受けて、中国とモンゴルの間にまたがるゴビ砂漠でのロケ中に問題が発生し、帰国しようとしたタイミングに、ちょうど高倉さんから電話がかかってきたエピソードを語った。

中井 洗面所で荷造りをしていたら、ホテルの部屋の電話が鳴った。出たら「もしもし、貴一ちゃん、どうしてる? 高倉ですけど」と、高倉健さんから電話があったんです。そんなタイミングで電話、来ます? 隣の部屋からしない限り、無理ですよね。(諸問題が発生した)状況を話したりして「こらえろ」って言ってもらうんですけど。

中井は作品名を示さなかったが、自身の外国映画での初主演作となった04年の中国映画「ヘブン・アンド・アース 天地英雄」の撮影当時について語ったとみられる。高倉さんは、中国の文化大革命後、初公開された日本映画「君よ憤怒の河を渉れ」(76年)などの作品で、中国国民から「良き友」と親しまれ、高倉さんも中国と中国の人々に深い愛情を持っていた。それだけに、中国の撮影で困難に遭遇した中井を電話で励ましたものとみられる。

記者は、高倉さんの遺作となった12年の主演映画「あなたへ」の撮影現場や、キャンペーンに同行し直接、高倉さんを取材する機会に恵まれた。その中で、高倉さんの心遣いを何度も目の当たりにした。

映画「あなたへ」のロケで26年ぶりに共演した高倉健(右)とビートたけし(2011年10月撮影)

映画「あなたへ」のロケで26年ぶりに共演した高倉健(右)とビートたけし(2011年10月撮影)

◆ビートたけし 11年10月4日に岐阜県高山市内で行われたロケで、85年「夜叉」以来26年ぶりの共演。高倉さんは、同2日午後10時10分にJR高山駅に到着した、たけしを自ら駅に出向いて出迎えた。撮影では、たけしがセリフの確認をしていると、さりげなく歩み寄って読み合わせに付き合った。たけしが驚いても、そのまま続けた。

◆佐藤浩市 11年11月に北九州市の門司港のロケでクランクアップした際に共演。高倉さんは、83年「南極物語」以来28年ぶりの共演となった佐藤に「頑張れよ、頑張れ。これからだぞ」と激励した。佐藤は「(俳優を)30年やってきて、芝居に対する気持ちが平板になりかけていたときに、また1つ先に山をつくっていただいた。すごく新鮮でありがたい」と感謝。

◆綾瀬はるか 11年10、11月に長崎県平戸市で行われたロケで共演。高倉さんは、旅館の綾瀬の部屋にカットフルーツの盛り合わせと「お疲れさまでした」と書いた手紙を届けた。ただ、綾瀬は旅館の料理長からのものだと勘違い。翌日、現場に行って高倉さんが書いたものだと知り、旅館に取りに帰った。「字がジャジャジャッと書いてあって、分からなかったんです」との綾瀬の切り返しに、高倉さんも苦笑い。

高倉さんの気遣いは、共演者だけではない。平戸では、地元の漁師にマフラーと革ジャンをプレゼントした。漁師が、お礼に海に潜ってアワビを取ると言うと「冷たいのに。無理しないで」と心配し、実際にアワビを送られると喜んだ。漁師が「(もったいなくて)革ジャンに袖が通せない」と言うと、東京からジャンパーなどを15着も送った。

門司港でクランクアップした際は、ダウンジャケットを着ても寒いほどの強風の中での撮影となった。高倉さんは、カットがかかった際、スタッフから手渡された温かいコーヒーを飲み、暖を取っていた。その中、手をこすって寒さをしのぐ若い女性スタッフに気付くと「飲みな」と言い、コーヒーの入ったカップをさりげなく差し出し、飲ませた。

「あなたへ」公開翌日の12年8月26日には、撮影を行った富山刑務所を訪問。受刑者350人が集まった講堂に登壇すると「自分は多分、日本の俳優では一番多く、皆さんのようなユニホームを着た役をやった俳優だと思っております」と冗談を口にした。一方で「みなさんが1日も早く、あなたにとって大切な人のところへ帰ってあげてください。心から祈ります。どうぞ、お元気で1日も早く出所されてください」と呼び掛け、感極まって涙を拭った。

11年に岐阜県で行ったロケを取材をした際には、記者をはじめ取材、宣伝関係者を乗せたバスが現場を離れようとすると、高倉さんは右手を頭上に上げた。そして、大きく左右に振ってバスがその場を離れるまで見送った。

14年11月に高倉さんが亡くなって、7年半の月日が流れた。映画業界に身を置いて取材していても、高倉さんの話を、周囲と交わす機会は少なくなっている。その中で、中井の話を聞き、非常に感じるものがあった。高倉さんに限らず、取材でお世話になり、亡くなった映画関係者から、たくさんのものをいただいた。それらを、こうして原稿に書いて伝えたり、若い世代に語ることが、日本映画のバトンをつないでいく一助になる…それが映画記者として唯一、出来る恩返しであろうと、中井の話を聞いていて感じた。