まさか…。自国開催の金メダルへの挑戦の結末は悲劇的だった。男子400メートルリレー決勝で、日本は途中棄権に終わった。第1走者多田修平(25=住友電工)から第2走者山県亮太(29=セイコー)へバトンがつながらず。予選を全体9番目の通過タイムで下克上を目指し、ギリギリまで距離を広げたバトンワークで挑んだが、バトンは山県の手まで届かなかった。優勝は37秒50のイタリアだった。

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イタリアの勝利の凱歌(がいか)がこだまする中、日本の4人はうつむくしかなかった。バックストレートをうなだれるように歩いた。言葉は出ない。入場ポーズは16年リオデジャネイロ五輪での「侍」から空手の「押忍」に変わり、金メダルを懸けた決戦へ向かった。運命は無情。ゴールにたどり着くことなく終わった。

悲劇は最初のバトン。大外9レーンから多田は好スタートで飛び出した。山県へ。遠い。失速する足を懸命に動かし、仲間の思いが詰まったバトンを握る右腕を伸ばした。山県の手は離れていく。数センチ。届かない。テークオーバーゾーン(30メートル)でバトンを渡せない。途切れた。夢は思わぬ形で散った。多田は全身の力が入らなくなった。座り込み、立てなかった。その背中を山県が励ました。桐生と小池も駆け寄った。

多田は「つながらなかったのは僕の実力不足。申し訳ない気持ち」と声を絞り出した。過去に練習で1度もミスがなかった組み合わせ。山県は「リスクを取る戦いだった。実際に起こった事を受け入れるのは時間がかかる。目の前のことが現実なのか」と語った。

ただ「金」か「失敗」か-。その攻めた末の結果だった。予選通過は全体9番目のタイム。100、200メートルの個人種目で全滅。個で戦えないことは明白だった。予選は「安全バトン」。今回、山県はスタートの目安になる多田の通過ポイントを20センチ遠くした。メダルではなく、金メダルを狙う勝負手だった。

予選後の夜の選手村。指揮を執る土江コーチの部屋に選手、スタッフが集まっていた。ギリギリだった予選映像を何度も確認し、タイムを伸ばせる余地を探った。映像を見つめる顔は勝負師。「9レーンは最高だ」「まだ伸びる」。土江コーチの言葉に耳を傾けながら、弱気な者など誰1人いない。決勝当日の昼にも、再び部屋に集合し、最後の詰めの作業をした。日本陸連の科学委員会が出した予選データを確認。バトンゾーンタイム、各区間の記録、受け渡し位置などの数字を1つ1つ目にし、そのすべてで0秒01を刻み出せる糧とした。予選は38秒16だったが、目標タイムを強気に37秒50に設定。だが、勝負の神様は厳しかった。

リオ五輪の銀から東京五輪へ向け、個の強化を最優先に掲げた。ただ、総決算の東京五輪にみなの調子が合わず、理想的な勝負をできなかった。それが結果的には大きかった。世界は甘くなかった。【上田悠太】