初出場の一山麻緒(24=ワコール)が2時間30分13秒で8位入賞を果たした。日本勢の入賞は04年アテネ以来、4大会17年ぶりとなった。猛暑の中、先頭集団で粘りの走りを見せていたが、33キロ付近で脱落。一時は9位と入賞圏外に落ちたが、棄権者も出たため、何とか8位に食い込んだ。鈴木亜由子(29=日本郵政グループ)は19位、前田穂南(25=天満屋)は33位だった。

最後まで力を振り絞った。フィニッシュ地点が近づくと、サングラスを外し、両手を広げてゴールした。

一山 今日に向けてずっと頑張ってきて、世界の選手と一緒に走ってみて、世界の人は暑くても強いなと思った。9番より8番の方がうれしい。手を上げてゴールした。

五輪切符をつかんだ昨年3月の名古屋ウィメンズマラソン。レース当日の朝、一山の元にメールが届いた。「今日は歴史に残る走りをしよう-」。差出人は鹿児島・出水中央高時代の恩師、黒田安名監督。その言葉に応えて日本歴代4位の好記録で優勝し、最後の1枠に滑り込んだ。

高校時代に全国トップクラスの実績があったわけではない。それでも黒田監督は、「オリンピックを狙える選手になる」と期待を掛け、一山は「夢は東京五輪」と大志を抱いた。

高校卒業後は実業団の名門ワコールへ。五輪4大会出場の福士加代子を育てた永山忠幸監督の指導を受け、その素質を花開かせた。「鬼メニュー」と表現する猛練習をこなして東京五輪出場をかなえた。東京五輪直前には、さらに激しい「鬼鬼メニュー」にも取り組んだ。猛特訓をこなした自信を胸に、レース途中まで先頭集団の一角に付け、世界の強豪相手に堂々と渡り合った。

高校時代の恩師・黒田監督は、東京五輪出場が決まった後、一山にこんなメッセージを送った。「名古屋では歴史をつくった。今度は奇跡を起こそう」。余計なプレッシャーを与えないようにと、黒田監督は「メダル」ではなく「奇跡」という表現で激励した。メダル獲得は3年後のパリに持ち越しとなったが、世界にその存在を印象づけた。

◆一山麻緒(いちやま・まお)1997年(平9)5月29日、鹿児島県生まれ。出水中では800メートル、1500メートルで県大会入賞。出水中央高では1500メートルと3000メートルで全国高校総体出場も決勝進出ならず。16年にワコール入社。19年MGCは6位。20年名古屋ウィメンズマラソンで2時間20分29秒の国内レース最高記録を樹立し、東京五輪切符獲得。憧れは同門の福士加代子。158センチ、43キロ。