東京オリンピック(五輪)で悲願の金メダルに導いた稲葉篤紀監督(49)がインタビューに応じた。24人の侍はチームの勝利へ自己犠牲をいとわず、時には一国一城のあるじのように自ら決断を下してプレーを重ねた。従来にはないリーダーなき軍団を、絶妙なバランスで調和を図った。就任4年の末に日本球界の夢を遂げた指揮官が振り返る。稲葉監督の一問一答は以下の通り。

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-1週間ほどたって、今の心境は

プレミア12で優勝したときは、勝った喜びはあったが、オリンピックがあるなという頭でずっといた。今回の優勝は、やり遂げたという自分の中での1つの区切りでもあるし、本当にホッとしたというのもある。緊張感から解き放たれたという気持ちがある。

-今までと違う重圧だった

今回は1人(でいることが)が多かった。ホテルでも(行動制限で)なかなか行き来ができなくて、みんな自分の部屋で自粛していた。1人の時間がすごく多かった、長かったから。いいことも悪いことも考えることがいっぱいあった。その時間を過ごすことが大変だった。落ち着けない(笑い)。準決勝に勝って、決勝まで2日間あったから、またそこも2日間考えたし、考えることがいっぱい。それがつらかったです。ソフトボールがいい形で金メダルを取ったから「野球も絶対に金メダルを取らないと」というプレッシャーもあった。

-決勝の直後は信じられないという話もしていたが、金メダルを取った実感は

家族で買い物に行ったときも周りの方たちから「おめでとうございます」という声をたくさんいただきました。みなさんに見ていただけたのかなと。非常にうれしかったです。ただ、まだ実感と言われるとそうでもなくて。いつ実感が湧くんだろうとはずっと思っているけど、選手たちはシーズンもある。あんまり私だけ余韻に浸るというのも、どうなのかなという思いもあったりする。

-家族との時間の中で、お祝いの言葉やプレゼントは

お赤飯を炊いてくれたり、ケーキもくれましたし、お祝いしてもらいました。子供も小学校1年生なんですが、試合も夜遅くまでずっと見ていてくれたみたいです。行く前に、子供から「金メダル」と「頑張ってね」と書かれた、うちわをもらった。球場に持って行ったりしたが、帰ってから見せて「これのおかげで勝てたよ」って。喜んでいました。

-自宅に日本ハムのユニホームと北京五輪とWBCを連覇したときのユニホーム3枚を飾っているが、今回の東京五輪のユニホームはどこに飾るのか

今、ハンガーで玄関のところにかけてはいるけど、もっときれいに飾りたいなと考えています。

-北京五輪のユニホームは悔しさを忘れないようにと飾ったが、残していくのか

私の中で、やっぱり人というのは、いいことばかりではなく、失敗であったり悔しい思いをして、成長できると思っている。もちろん北京のリベンジというか、借りは返せたと思う。でもこの気持ちはずっと持ち続けていなくてはいけない。常に向上心を持ってやっていきたいと思いますし、オリンピックで金メダルを取らせてもらいましたが、これがすべてではない。そういう意味でもずっと飾っておこうかなと思っている。

-決勝翌日の解散のときに、長い間ともに戦った選手たちと別れたときの心境は

ちょっと寂しい気持ちもあるが、選手たちは解放されたという気分もあったと思う。とにかく選手たちが喜びの表情と、あとちょっとホッとした表情と、そういう顔を見て、私も本当によかったなと思っている。このチームでもうちょっと戦いたかったなという思いもあります。

-最後に選手たちに伝えたことは

感謝の気持ちです。とにかく、このオリンピックのために選手は目いっぱいやってくれた。あとは裏方さん、トレーナーの方、スタッフ、打撃投手、ブルペン捕手、そういう方たちにしっかりと感謝というものを伝えて。これからもいろんな方たちの支えがあって野球ができているという感謝を忘れずにという話はさせていただいた。

-青柳投手が決勝前日に稲葉監督から「この経験を下の世代に語り継いでいってほしい」と言われたと。選手らに今後願うことか

ジャパンの中でも良かった選手、自分の力をもうひとつ出しきれなかった選手、等々がいる。でもやっぱり野球は個人スポーツでもあるが、チームスポーツの良さ、1つになって戦っていくチームが、やっぱりいいチームになっていくと思う。そういう意味でも、自分の経験も踏まえて、いろんな人に伝えていってほしいなと思う。

-決勝戦の平均視聴率は37%。注目されている意義はどのように感じていたか

今回は無観客だったので、どれぐらいの方たちが見てくださっているかが正直分からなかった。視聴率の数字がどんどん上がっていくのを見て、野球を見てくれる方たちがこれだけ多いんだなというのは、あらためて感じた。何かいろんなことに野球は影響力があるのかなというのも感じましたし。私は本当に無観客でもテレビの前のみなさまと一緒に金メダルの喜びを分かち合いたいとずっと言ってきたけども、それが本当にできた。応援してくれている方たちに少しでもそういう形で恩返しができたのかなと。

-4年にわたって代表監督を務めて、4年という時間をかけられたからこそ良かった点は

やっぱり人との出会いでしょうね。選手ももちろんですが、いろんな方たちと出会って、長嶋さん(茂雄氏)からも祝福のお電話をいただいたり。監督じゃなければそういう方たちとお話をなかなかできる機会はなかったと感じていますし、そういう方たちの影響ももちろん受けた。選手も、裏方さんもいろんな方たちと出会えて、この4年間、私の財産になった。

-長嶋氏からは

(決勝の)次の日に電話が来て「本当に野球界のために頑張ってくれた」と。声がすごくテンションが高いと感じましたし、長嶋さんも喜んでくださったなと。僕も電話をいただけるなんてうれしかった。代表監督やっていなかったら、絶対にしゃべれなかったですし。これまでの接点? 名球会で会って、あいさつはさせていただきましたが、話となるとあまりないです。電話で話をさせてもらったのは夢のようでした。

-代表チームは新型コロナウイルスの影響もあって次の目標が明確になっていないが、今後の侍ジャパンはどんな存在であってほしいか

次に何年にどこの大会をやるか、まだ決まっていない状態。やはりこの侍ジャパンが常設して、アンダー世代もあって、各カテゴリーの中でこの侍ジャパンを目標にしているという話は聞いている。そういう意味でも、トップチームが金メダルを取ったことで子供たちが最終的にはトップチームで世界と戦いたいとなってくれればうれしい。各カテゴリーがこれから、コロナも落ち着いた中で大会が行われ、侍ジャパンというのを背負ってやっていく。そういう世の中に戻ってくればいいなとは思っています。

-24年のパリ五輪では野球の競技がなくなる。28年のロス五輪や32年のブリスベン五輪での復活は目指すべきところになると思うが、この金メダルはきっかけに

日本だけが盛り上がっていても、オリンピックということに関しては僕はダメだと思っている。やっぱり世界でどうやって野球を普及させるか。米国もそうですし、いろんな野球をやっている国が、本当に連携をしてオリンピック競技の1つにこれから追加というのを訴えていく必要がある。私にはそんな力はないが、熱と言うか、世界に向けていろいろやっていく必要はあるのかなと思います。