ストリート男子の初代王者に輝いた堀米雄斗(22=XFLAG)の父・亮太さん(46)は、わが子の金メダル確定を荒川の河川敷で聞いた。予選で思うように点数が伸びないことを案じ「不安そうな表情をする雄斗を最後まで見れなくて…。河川敷を走りに行きました」。息が切れそうになりながら、記者から届いた吉報に「本当に良かった」と胸をなで下ろしていた。

6歳で競技に出会った堀米。そのきっかけを作ったのは、自身もスケーターだった亮太さんだ。「最初は子どもをダシにして自分も一緒にスケボーしようと思っていて(笑)」。都内近郊のパークに連れて行き体幹を鍛えるためバーチカル(ハーフパイプのような施設)を教えていたが、自発的に取り組む堀米を見て次第に変わった。「暇さえあれば参考書を開けて勉強する学生のように、スケボーするか、映像を見るか。ご飯を食べる時も映像を見ていたので、さすがに止めましたね(笑)」と懐かしそうに振り返る。

熱心に打ち込むわが子だからこそ、現実も伝えた。市場規模がほとんどなかった当時の日本で、仕事とするのは難しい。本場アメリカなら大会の賞金や映像制作で1億円以上の高収入を得るスケーターも珍しくはなかった。

常々説いてきたのは「本気でやるなら、世界から認められるスケーターになろう」。高校卒業後の17年、渡米を決断した堀米を快く送り出した。親子の会話は今でもスケートボードの話題がほとんど。新型コロナウイルスの感染拡大後は直接会えていないが、亮太さんは「僕と雄斗はスケートボードでつながっているから」と心配はしていない。

試合の前日、亮太さんは「多くの人から期待されることは本当に良いことなんだよ」とメールを送った。栄えある五輪初代王者に輝いたわが子に今度会ったら、「お疲れさま」とねぎらいの言葉を掛けたいと話した。「コンテストも大事にしながら、本来のスケートボードも大事にしてほしい」。これからも我が子の活躍を見守り続ける。【平山連】