パーク女子で四十住(よそずみ)さくら(19=ベンヌ)が金メダルを獲得し、オリンピック(五輪)初代女王となった。大技「540(ファイブフォーティー)」を2度成功、60・09点をたたき出した。夏季五輪日本人最年少出場の12歳、開心那(ひらき・ここな)が銀メダル。日本勢の夏季五輪ワンツーフィニッシュは76年モントリオール五輪体操男子種目別鉄棒の塚原光男、監物永三以来45年ぶり、女子で初の快挙。日本女子の金メダルは11個となり、04年アテネ五輪の9個を抜いて史上最多となった。

桜色に染めた髪をなびかせ、四十住が頭の上で両拳を振った。制限時間45秒の3本勝負。決勝1本目の終盤、前向きに踏み切り、流れるように1回転半回った。昨春に習得した大技「540」。関係者の歓声が静まらないうちに、今度は2本目を決めた。英国のブラウンに抱きつかれると「やったぁ!」と跳びはねた。得点を見て「ファイナルで見せたかった。めっちゃうれしいです」と喜んだ。

五輪の緊張とは無縁だった。予選は感覚を確認しながら4位通過。決勝は予選順位順の滑走となり、のびのびと楽しんだ。会心の60・09点を上回る得点は出ず、金メダルが決まった。すぐにはのみ込めなかった。

「夢で滑って、金メダルを取っている感じです」

4年前、高1の秋だった。母清美さんと訪ねたのは、地元和歌山の時計店「オオミヤ」。地域貢献を模索していた同社から、当時通った伊都中央高の教頭を介して連絡があった。初めての顔合わせで母が言った。

「このままやと海外の試合に出してやれんのです」

スケートボードとの出会いは小6。13歳上の兄麗以八(れいや)さんから譲り受け、夢中になった。両親は反対。毎日紙に無理難題のメニューが書かれ「『無理』っていう言葉を聞いて、やめさせたかったみたい」。だが娘は折れなかった。その姿に母が腹をくくった。学校、塾が終わった午後7時から、大阪に車を走らせた。夢中で技を磨く四十住は時に午前2時まで滑った。どんな日も母は見守り、睡眠時間を削って家事をこなした。のちに「さくらが頑張っているのに、ママが先に諦められなかった」と聞いた。

1万円のデッキ(板)は消耗が激しく月に2本、靴も2足を履きつぶした。両親は言わないが、家計の苦しさは理解していた。中3で五輪種目採用が正式決定。時計店を訪れたあの日、夢と現実のはざまにいた。

「その傷痛ないんか?」

向かいに座った出水孝典社長(47)に突然尋ねられた。半ズボンから見えた脚は練習で傷だらけ。「痛くなくて楽しいです」。輝く目を見て社長は「こんなに純粋な子がいるのか」と活動費援助を決めた。翌18年の全日本選手権、アジア大会、世界選手権で初代女王に。あれから4年。五輪の表彰台で金メダルを下げた。

「金メダル、すごく重たいです。スケートボードが大好き。楽しくやれていたし、それが結果につながったと思います」

夏の東京。それぞれの胸に桜が咲いた。【松本航】