サッカー男子で日本が、実に53年ぶりのメダルをかけ、3位決定戦でメキシコと対戦する。日本の五輪での最高成績は釜本邦茂らを擁した1968年のメキシコ五輪での銅メダル。W杯は16強。

今夜の一戦は、日本サッカー史に残る歴史的な大一番となる。

五輪は日本サッカー強化の過程に欠かすことができない。かつてはプロ選手の出場制限があり、アマチュア選手にとっての最高峰の大会だった。さまざまなルール変更を経て、プロアマ問わない23歳以下(21年東京五輪は24歳以下)の世界大会になった。日本は68年メキシコ大会で銅メダルを獲得。その後の日本は低迷したが、96年アトランタ大会で28年ぶりに五輪出場を果たすと、以降は7大会連続で出場。その戦いの歴史を振り返った。

【1936年ベルリン=8強】

◆初挑戦で「奇跡」 16カ国によるトーナメント(T)方式で争われ、大学生中心だった日本は初戦で優勝候補とされたスウェーデンと対戦した。前半に2点を失うも、後半に3点を奪って逆転。この大金星は「ベルリンの奇跡」と呼ばれた。だが、準々決勝で最終的に金メダルを獲得したイタリアに0-8で大敗。日本の五輪初挑戦は終わった。

【1956年メルボルン=1回戦敗退】

◆抽選で2度目の出場 東京・後楽園で行われた韓国との予選で2戦合計2-2。延長戦でも決着がつかず、抽選で2度目の本大会出場を勝ち取った。16チームで争う予定だった本大会はハンガリー、中国など5チームが棄権。日本は1回戦で開催国のオーストラリアに0-2で敗れた。

【1964年東京=8強】

◆28年ぶり白星 自国開催で、ドイツ人のクラマー氏を招くなどチームを強化した。1次リーグ初戦のアルゼンチン戦は2度リードを許す苦しい展開も杉山隆一、川淵三郎、小城得達がゴールを決めて3-2と逆転勝ち。五輪本大会で28年ぶりに白星を挙げた。続くガーナ戦は敗れたものの、グループ2位で決勝T進出。準々決勝でチェコスロバキアに0-4で敗れた。

【1968年メキシコ=銅メダル】

◆初の銅メダル 前回の東京五輪以降、日本はさらなる強化を進めた。長沼健監督が率いたチームは1次リーグ初戦のナイジェリア戦で釜本邦茂がハットトリックを達成。3-1で快勝し、勢いに乗った。最終的に金メダルを獲得したハンガリーに準決勝で0-5と大敗したものの、3位決定戦で開催国のメキシコを2-0で下し、銅メダルを獲得。釜本は7得点で得点王に輝いた。

【1972年ミュンヘン=予選敗退】

◆低迷期 ソウルで行われたアジア東地区予選でマレーシアと韓国に敗れ、3位で予選敗退。最終の韓国戦はスコア1-2だったが、シュート数は日本の9本に対して韓国32本。スコア以上の完敗だった。岡野俊一郎監督は退任。以降、日本は6大会連続で五輪出場を逃すことになる。

【1992年バルセロナ=予選敗退】

◆Jリーガー 五輪の出場資格が23歳以下に限定された。のちにA代表の主力となる名波宏(順大)相馬直樹(早大)ら大学生中心のメンバーで予選に臨んだが、6チーム中5位で敗退。ただ、この予選に出場したほとんどの選手が93年に開幕したJリーグでプロとして活躍した。

【1996年アトランタ=1次リーグ敗退】

◆28年ぶり出場 マレーシアで開催された予選の準決勝サウジアラビア戦で前園真聖(横浜F)が2ゴールを挙げて2-0で勝利。68年メキシコ大会以来28年ぶりに出場権を獲得した。西野朗監督が率いた日本は登録18人全員がJリーガー。1次リーグ初戦で王国ブラジルを相手に1-0で勝利し、「マイアミの奇跡」を起こした。だが、世界大会の経験が少なかった日本は2勝しながらも得失点差で準々決勝進出を逃した。

【2000年シドニー=8強】

◆32年ぶり8強 A代表と五輪代表の監督を兼任したトルシエ監督の下、日本サッカーの「黄金世代」は予選を全勝で突破した。セリエAのローマで活躍していた中田英寿が攻撃をけん引。本大会1次リーグ初戦の南アフリカ戦は高原直泰(磐田)の2得点で勝利し、2戦目のスロバキア戦も勝って2連勝。3戦目のブラジル戦は0-1で敗れたものの、32年ぶりに8強入りを決めた。準々決勝の米国戦でPK戦の末に敗れたが、この経験が2年後の2002年W杯日韓大会で生き、日本はW杯で初の16強入り。

【2004年アテネ=1次リーグ敗退】

◆五輪経由W杯 当時のメンバーは世界経験に乏しい「谷間の世代」と呼ばれた。山本昌邦監督は前回のシドニー五輪メンバー同様、2年後のW杯(ドイツ大会)で活躍するような選手の台頭を願った。オーバーエージに小野伸二(フェイエノールト)らを加えたが、1次リーグ初戦から2連敗で敗退決定。だが、その後のメンバーはこの悔しさを糧に奮起し、闘莉王、松井大輔、大久保嘉人、阿部勇樹らは6年後の10年W杯南アフリカ大会で日本の16強進出に貢献した。

【2008年北京=1次リーグ敗退】

◆3戦全敗 アジア予選突破は当たり前。本田圭佑、香川真司、岡崎慎司、長友佑都ら、のちにA代表で活躍する選手が数多くメンバーに名を連ねた。1次リーグ3戦全敗に終わったが、この「新黄金世代」はその後、海外へ飛躍。反町康治監督は若い選手に経験を積ませるため、オーバーエージを採用しなかった。

【2012年ロンドン=4位】

◆44年ぶりメダルならず 選手は自分たちを「雑草」と呼んだ。だが、海外リーグ所属の選手も増え、本大会メンバー18人中6人を占めた。関塚隆監督率いるチームは1次リーグ初戦で優勝候補のスペインに1-0で勝利する「グラスゴーの奇跡」を起こし、初戦から4試合連続無失点の快進撃。3位決定戦で韓国に敗れ、44年ぶりのメダル獲得はならなかったものの4位で大会を終えた。

【2016年リオデジャネイロ=1次リーグ敗退】

◆オーバーエージ 大会直前にエースFWとして期待された久保裕也が所属のスイス・ヤングボーイズの事情で不参加。手倉森誠監督のプランが崩れた。オーバーエージにはA代表の経験が少なかった藤春広輝、塩谷司、興梠慎三の3人が選出されたが、ミスから失点に絡むなど安定感を欠き、日本は1次リーグで敗退した。そうした反省からか、今回の東京五輪では選手の招集もスムーズで、A代表の主力でもある吉田麻也、酒井宏樹、遠藤航のオーバーエージ枠での参加が早い段階で決定。若いチームを引っ張った。