男子の五十嵐カノア(23=木下グループ)が決勝でブラジルのイタロ・フェヘイラを敗れ、銀メダルを獲得した。同じ横乗り競技のスケートボードストリート男子の堀米雄斗(22=XFLAG)と交わした「一緒に金メダルを取ろう」との約束は果たせなかったが、初めての五輪で堂々とした戦いぶりを見せた。

カリフォルニア生まれの23歳は両親の影響で3歳でサーフィンを始め、5カ国語(英語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、日本語)を操る国際派。普段はアメリカやポルトガルなどのビーチで練習を重ね、活動範囲は日本にとどまらず世界を駆ける。わずか4年ほど前まではアメリカ国籍も持ち、過去には米国代表として国際大会に出たこともあった。

それでも両親の生まれた日本への愛情は深かった。初めて「波乗りジャパン」入りを公言したのは17年。横浜市内でのイベントだった。

米国生まれの当時19歳は「日本代表として進もうと考えてます」と発言。五輪新競技に採用されたサーフィンについて「チャンスだと思う。本当にうれしかった。これからがサーフィンの始まりだ」と胸を高鳴らせ、いきなり「金メダル」宣言も飛び出した。

意気込みとは裏腹に、プレッシャーとの戦いが続いた。世界中のトップアスリートが憧れる五輪の舞台は特別な存在だった。「オリンピックで金メダルをとれば、日本のサーフィンはもっと広がる。他のスポーツのファンにも五十嵐カノアを知ってもらいたい」。日増しに高まる五輪への思い。それが強くなり「寝れない日もあった」と明かす。

五十嵐は「この4年くらい毎日、起きたら『今日は何をやればオリンピックで金メダルに近づけるかな』。そのことだけを考えて過ごしてきました。朝起きてから寝るまでトレーニングから食事まで、全てが金メダルを取るための準備だった」。

新型コロナウイルスの影響で五輪1年延期。プレッシャーと戦う五十嵐に転機が訪れた。各大会も中止が相次ぎ、なかなか海にも入れない日々の中、代わりに時間ができた。スポーツメンタルに関する書籍を読みあさり、導いた答えが「プレッシャーをどうエネルギーに変えるか」だった。

日本開催の五輪で初めて行われるサーフィン。家族もスポンサーの期待を背負う中、「逃げちゃいけない。プロアスリートにとっては普通なことだから」。プレッシャーはネガティブじゃない。吹っ切れると、自然と笑みがこぼれた。今では「オリンピックはプレッシャーがあったから、良かった」と考えた。

海をこよなく愛する23歳は、プレッシャーに打ち勝ち世界中のどんな波も乗りこなす。「海の中で上手くなってる。海のつながりがすごくて、まるで彼女みたい。海は友達だし、家族だし、彼女だし。海から毎日勉強してる」。

同い年の盟友、堀米との約束を果たすことができなかったが、堂々の銀メダル獲得。23歳の若者が見せたパフォーマンスをたたえ、会場からは拍手が鳴りやまなかった。

◆五十嵐(いがらし)カノア 1997年(平9)10月1日、日本人の両親のもと米カリフォルニア州で生まれる。3歳の時にサーフィンを始め、プロ最高峰チャンピオンシップツアー(CT)初参戦の16年は総合ランキング20位、17年は17位。19年5月にアジア人として初優勝。カノアはハワイ語で「自由」。弟のキアヌもサーフィン選手。180センチ、77キロ。

◆世界のサーフィンの仕組み 五輪を統括する国際サーフィン連盟(ISF)とは別に、世界ツアーに出るトッププロを抱えるワールド・サーフ・リーグ(WSL)がある。選手が目指すのはWSLのトップカテゴリーであるチャンピオンシップツアー(CT)。その下のクオリファイシリーズ(QS)で上位になり、CTに昇格するシステムだった。今年からはCTとQSの間にチャレンジャーズシリーズ(CS)を新説。ピラミッドが3段階になった。五十嵐は16年からCTに参戦。都筑は今年CT選手になった。CSには、村上舜がランクされている。