池江璃花子(21=ルネサンス)が、東京五輪を終えて涙に暮れた。

最終レースの400メートルメドレーリレー決勝。第3泳者でバタフライを泳いで3分58秒12の8位。19年2月の白血病からわずか2年半で五輪決勝に立って喜びの涙。今大会の出場はリレー3種目。個人種目で世界のライバルたちのレースを間近で見て、奮い立った。目標は24年パリ五輪、本職100メートルバタフライでのメダル獲得だ。

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引き揚げる途中で、もう泣いていた。池江が号泣した。あまりの泣きっぷりに、五十嵐からぽんと肩をたたかれる。涙が流れるままに、声を震わせて言った。

「1度はあきらめかけた東京五輪だったんですが、リレーメンバーとして決勝の舞台で泳げて、すごく幸せだなと思います」

昨秋に開けた両耳のピアスと涙がきらりと光った。

何度聞いても切なくなる。東京五輪のヒロイン候補が19年2月に白血病。苦しい闘病生活に、前向きな池江が「死にたい」とさえもらした。「この数年は本当につらかったし、人生のどん底に突き落とされてここまで戻るのは大変だった。2大会連続で、この舞台に戻れたことは自分自身に誇りを持っていける」。

今大会はリレー3種目のみだった。池江が最も得意な100メートルバタフライは、金メダルが55秒59、銅メダルが55秒72。池江の日本記録56秒08は5位相当になり、記録レベルが上がったが、うれしそうに言った。

「なんかわからないですが、『すごくいけるな』と思ったレースでもあった。タイムは速くないし、自信があるわけじゃないが、決勝を見て、自分はこの舞台で活躍できるんだ、という自信が湧き上がってきた」

物おじしない性格は強みだ。保育園に通う6歳のころ、同じ水泳教室の選手コースに入ってきた小2の選手に「あなた、だれ?」といきなり聞いたという。ライバルの泳ぎは、池江を奮い立たせるエネルギーだ。

初出場の16年リオデジャネイロ五輪で忘れられない光景がある。100メートルバタフライで日本新3連発。大躍進の5位。だが帰国した際に空港でメダリストとそれ以外で帰り道が分かれた。メダリストは帰国会見、それ以外は解散。「五輪はメダルをとらなきゃ意味がない、五輪は出るだけじゃ面白くない。結果を出して初めてオリンピックで戦ったという気持ちになる」。競技者の本能として、メダル獲得を目指していく。

取材エリアでは尊敬するショーストロム(スウェーデン)と一緒になり、抱き合った。2月の右肘骨折から復活し、50メートル自由形銀メダルを獲得した姿に刺激を受ける。「世界から見て後れを取っていると目に見えてわかった。これから世界大会に出て行って『イケエが強くなっている』と思われるようにしたい」。最大の目標は、3年後のパリ五輪。世界と勝負する種目はもちろん本命の100メートルバタフライだ。【益田一弘】

池江の道のり

◆緊急帰国 19年2月4日、合宿中のオーストラリアから緊急帰国し、白血病と診断されて入院。同12日、自身のツイッターで病気を公表。

◆入学 同4月8日、日大入学と同水泳部入部を発表。

◆退院 同12月17日、公式HPで退院を発表。

◆プール 20年3月17日、406日ぶりプールに入ったことをSNSで報告。

◆短髪 同5月18日、短髪を初披露。

◆イベント 同23日、延期された東京五輪開幕1年前の国立競技場でのイベントに登場。真っ暗なスタジアムに純白の服で降り立ち、聖火のランタンを掲げた。4分10秒のスピーチも。

◆復帰 同8月29日、東京都特別大会(東京辰巳国際水泳場)の50メートル自由形で復帰。26秒32で同組1着、全体の5位に入って涙を流した。

◆代表入り 21年4月、東京五輪代表選考を兼ねた日本選手権100メートルバタフライ、100メートル自由形の2冠達成。2種目でのリレーメンバー入りが内定。

 

◆池江璃花子(いけえ・りかこ)2000年(平12)7月4日、東京都生まれ。15年世界選手権に中学生で代表入り。得意は100メートルバタフライで自己ベスト56秒08。16年リオデジャネイロ五輪5位、18年パンパシフィック選手権で主要国際大会初優勝。同年アジア大会で日本勢最多6冠で大会MVP。19年2月に白血病を公表し入院。闘病中の同年4月に日大入学。同12月に退院。171センチ。

 

▽小西杏奈 本当にこのメンバーで泳げること、たくさんの人に応援してもらった。その力をこのメドレーリレーにかけて泳いだ。

▽渡部香生子 3回目にして初めての五輪決勝。3人のおかげで決勝で泳がせてもらった。最高のメンバーで泳いで幸せでした。

▽五十嵐千尋 決勝に残れて、この4人で泳げて幸せです。最後は皆で笑顔も涙もあり、本当にいい形で終わることができました。