年末年始の風物詩、全国高校サッカーが始まった。選手の名簿をながめていると、時代の変化を強く感じた。
■徳島市立20人中13人が越境
12月29日、等々力陸上競技場で行われた1回戦。徳島市立のベンチ入りメンバー20人、その中学時代の所属先を確認していると13人が県外だった。
その出身先の多くは関西だったが、中には「鹿島アントラーズジュニアユース」「サガン鳥栖U-15唐津」といった遠方の地域からの越境組もいた。これが強豪私立校なら普通のことだが、こちらは地元でよく知られた文武両道の公立高校。どういう事情なのか気になった。
そういう筆者も随分前に徳島の公立高校を卒業している。ふと昔の光景を1つ思い出した。
1980年代、あの蔦監督の池田高校が甲子園で大活躍していた時代は、県外からも志願者がいた。中学3年の冬休み明け、通う学校に突然、大都会の東京・品川から転校生がやってきたことがあった。聞けば「池田高校に行くために親戚を頼ってきた」。受験資格を取るための手段としての転居だった。そういうケースは昔からしばしばあった。
ただ、ここまで多くの県外選手が来るとは隔世の感がある。
■県外に幅広く人材求める
徳島県教育委員会のホームページを確認すると、県外からも幅広く人材を求める公立高校の募集要項「特色選抜」(23年度からは育成型選抜に変更)なるものがあった。
学業や部活動、さまざまな特色を生かしたい人材を県外からも迎え、「専門教育の充実」「競技力の向上」「文化芸術の振興」など学校の活性化を図るとともに、「地方創生の実現を目指す」というもの。募集校の一覧があり、学校によって枠数が決まっている。
ちなみに現3年生が受験した2020年度は、募集のあった18校に対し県外12府県から54人を迎えている。年々、志願者は増えているようだ。
試合を終えた河野博幸監督に声をかけ、その事情をたずねた。すると「トップ・トップじゃないですけど、勉強をやりながらサッカーもしたいという子が県外から来るようになった」と明かしてくれた。
徳島市立サッカー部の場合は2人までは転居しないままに受験が可能なのだという。それを使って遠方から入部してきた選手たちだった。それ以外でも、高校入学時までに保護者とともに徳島県内に転住すれば受験資格は得られる。ただ人数の制限はあるようだ。
高速道を使えば1時間半ほどで神戸に着くアクセスの良さもあって、特に関西圏からは人気なのだろう。
■30年前は地元メンバー一色
ちなみに河野監督は徳島市立のOBで、高校時代はDFとして1991年(平3)の全日本ユースと1992年(平4)のインターハイを制し、日本一を手にした実績を持っている。当時のメンバーには兵庫出身の選手が1人だけいたが、それ以外はすべて地元・徳島の選手だった。
そう説明すると同時に「今は子供がいないですよ。すごいです。もっとちゃんとした方がいいですよ」と残念そうにつぶやいた。
県外から生徒を迎えるボーダーレス化は、ほかの地域でも進んでいるという。裏を返せば少子化の波にのまれ、学区内の生徒だけでは立ちゆかなくなる公立校の未来予想図まで見えてくる。
この30年で地方の少子化は歯止めがきかず、最近になって厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が発表した2050年の人口推移によると、徳島は今後30年で人口が30%も減ると予測されている。しかも超高齢化が進み、65歳以上が40%を超えるという。
■全国強豪校は部員100人以上
サッカーに限らず高みを目指せば、逆に地方から県外へと出て行く生徒も多くなるだろう。この日、徳島市立が対戦した明秀日立(茨城)の登録メンバーには2人の徳島出身選手の名前があった。自らの輝ける場所を全国に求めることは、自身のキャリアを築く上での選択の自由に他ならない。
そして全国選手権に出る人気校は、どこも100~200人規模の部員数を誇る学校が目立つ。「四国の雄」と呼ばれる徳島市立は部員60人ながら、それでも全国の強豪に食らい付いている。今回も0-2と敗れはしたが、インターハイ王者と互角に渡り合った。チームのエースストライカーが大会直前に負傷離脱するアクシデントの中、前半には決定的な場面をいくつもつくった。1点でも決まっていれば、勝敗は分からないものになっていた。
河野監督は「最後に勝つチームはゴール前のクオリティーが違う」と言い、明秀日立との選手層の差も指摘していた。サッカーの試合を語る言葉の向こう側に、日本社会が抱える課題までもが透けてみえた。
■千葉から見ず知らずの徳島へ
越境組。鹿島アントラーズジュニアユース出身のMF池田怜以選手(3年)にも話を聞いた。
池田選手は千葉県出身。中学は茨城の名門Jクラブのアカデミーで技術を磨き上げた。全国選手権への憧れから「全国に出られて、部員も少なくて試合に出やすくて、文武両道にこだわった」ところ徳島市立が浮上した。両親からも「いいんじゃないか」という後押しがあった。誘われたわけでなく、自ら志願する形で誰も知り合いのいない徳島へとやってきた。
公立高校ゆえに寮はなく、仲間とアパートでの共同生活。自炊もした。
「甘くはなかった。1、2年は試合にも絡められんかったし。でもメンタルが成長して3年で試合に出られるようになったんで」
そう語る言葉は標準語でなく、独特のイントネーションを持つ徳島の方言丸出しだった。そこを指摘すると「時折、千葉に戻って友達と会うとびっくりされる」と笑う。これは徳島で懸命に生き抜いた証しだろう。
結果的に見れば、全国大会にも出場できたし、親元を離れて自立したことで「生活力がついた」。人としての経験値は間違いなく高まっている。
そして試合についても振り返り、「自分のところで3回チャンスがあった。それをやり切れんところが課題。そこをやり切れとったら、流れはこちらに来とった」。その課題は進学する大学で取り組むこととなる
■規制撤廃がもたらす新たな波
話は少し変わるが、サッカー界には1995年に欧州司法裁判所から出た「ボスマン判決」がある。移籍の自由(労働の自由)とともに、従来の外国人選手枠が撤廃されたことが有名だが、これにより欧州のマーケットは活性化し、サッカーの価値自体も大きく跳ね上がった。
翻って日本社会。人口減少、地方の衰退が叫ばれる中、公立学校の形態もより変わっていくだろう。制度ありきでなく、誰もが自由な選択ができ、人が行き交えるフレキシブルな時代へ。地方創生も絡めたスキームづくりの柱として、今後さらにスポーツや文化活動は社会課題への有効な手だてとなるだろう。
年の瀬の高校サッカーを見つめながら、新たな一年への期待も込めてそう思う。【佐藤隆志】










