四国4県で高知県には唯一プロチームがない。J2徳島ヴォルティス、愛媛FC、J3カマタマーレ讃岐、FC今治に続き、高知では初めて、四国では5番目のJリーグ入りへ、JFL高知ユナイテッドSCが本格始動している。

率いるのは、昨年までゼネラルマネジャー(GM)を務めていた元日本代表MFの西村昭宏監督(61)。今年からGM兼任で4年ぶりに高知の陣頭指揮に立つ。

セレッソ大阪では01年度に天皇杯準優勝に導き、日本協会ではU-20日本代表を指揮するなど要職を歴任。これまで最前線で指導者生活をしてきたのに、現在はJ1から数えれば3つ下のカテゴリーに身を置く。

記者が西村監督と初めて会ったのは、ヤンマー(現C大阪)で現役引退後、ガンバ大阪で強化部長を務めていた約25年ほど前だ。いろんな記事を書いては怒られたり、回数は少ないがほめられたり。

そんな監督が先日、チームで大阪遠征へ。日本サッカー界の重鎮がなぜ高知に、そして、どんなチームを作っているか興味があり、練習試合の会場へ足を運んだ。

「なぜ高知で?」という問いには、明快な答えが返ってきた。

「これをなりわいにしているので、どこかで僕を呼んでくれたらチャレンジする。野望は常にある。この年齢で現場でできるなんてそうはない。他のクラブで言えば、前身のチーム時代からある程度できあがっている場合がほとんど。高知はそれがなかった。だから引き受けた動機でもある。1からチームを作るのは、僕の人生でもなかったです」

Jクラブで何年、監督をしようとも、自らを必要としてくれれば現場に赴く。以前よりも若々しい監督の姿があった。

西村監督は生粋の大阪人で高知には縁はなかった。ヤンマー時代のチームドクターが高知県の病院で勤務していた関係で、2度ほど入院した程度。今回も6年前、高知の前身アイゴッソ高知時代にオファーを受け、初代監督に就任。そこからGMになり、今回は4年ぶりの監督復帰だった。

「6年前にチーム持った時は選手が9人だった。それが今、やっとカテゴリーを1つ上げてJFLになれた。早く次のカテゴリーのJ3に上がりたい。3年以内に行きたいね」

取材したこの日、練習試合の開始前から約4時間半密着した。相手チームの選手やスタッフを含めて会場には70人以上いたが、大きな声を出し続けたのは西村監督だけ。逆にJリーグではありえないほど、静かな選手が多い。ある意味、これがJFL昇格1年目の現実なのかもしれない。

試合前から試合中、試合後まで、指揮官は常に選手へ言葉を投げかけている。ベンチ横で記者が聞いている限り、半数以上がほめ言葉、あとは助言だったり、厳しい言葉もある。練習相手や審判団、関係者への意思疎通も、すべて西村監督が先に行う。C大阪時代はイタリアへ指導者留学もするほど勉強家で理論家ではあったが、同時に人として選手に対する姿も変わっていない。この人間力による国内の人脈は、記者の知る限りはトップクラスだ。

「今まで経験したことのないおとなしいチーム。上(Jリーグ)で評価されなかった選手が(JFLに)来ているから、何とか殻を1つでも破らせてあげたい。1つでもステップアップさせてあげたい」

約30選手が在籍する高知は全員がアマチュアで、午前9時から2時間練習し、午後2時から各選手は地元企業などで働く。クラブの年間運営費は約1億数千万円という。スタッフも少数。これまでは四国リーグ所属で試合の移動も比較的楽だったが、JFLになると高知以外の全国15チームが対象となる。移動費を安く抑えるためにも、例えばホンダFCの本拠地がある浜松市へは、高知市から約8時間をかけてバス移動を予定しているという。

昇格1年目の今季は、新型コロナウイルスの影響でリーグ戦の試合数が半減され、開幕が7月18、19日にずれ込んだ。地域リーグへの降格がなくなり、思い切りプレーできるのが高知にとっては大きい。

「当初の目標はJFL残留だったが、降格がなくなった以上、チャレンジしないといけない。1歩でも次の目標のJ3につなげたい。彼らは練習も仕事もしており、情熱は人一倍ある。地域リーグ、JFLとやってきて、次の夢もつかみ取れよと言い続けている」

「攻守ともにアグレッシブに」がチームの合言葉。この日の練習試合でもボールを保持し、動かし、果敢に攻め上がるサッカーを追求した。よく上位リーグに昇格したチームにありがちな、カウンター中心のサッカーとはまったく違う。

「高知の県民性は守ってカウンターの1-0より、4-3で勝つことを望む声が多い。僕の好きなパターンです。0-1は一番おもしろくない、それだったら3-4で負けた方がいい。ソニー仙台FCやホンダは強く、そんな甘くはないけど、僕が8月8日生まれなので(16チーム中)8位を目標にしたい」

かつてサンフレッチェ広島で主力だった主将のMF横竹翔(30)も「高知の名を全国に広げたい、元気にしたいですね」と、監督以上に心意気は強い。

西村監督は現役時代、日本代表として85年のW杯メキシコ大会アジア1次予選の北朝鮮戦に出場した。自身のパスミスが、大雨でできた国立競技場の水たまりで止まり、それをFW原博実が拾って決勝点にしたという伝説がある。

不運を幸運に、逆風を追い風にしてきたのも、たゆまぬ努力があったからこそ。61歳の新たな挑戦を見せてもらい、記者も刺激をもらった。【横田和幸】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「現場発」)

◆横田和幸(よこた・かずゆき)1968年(昭43)2月24日、大阪府生まれ。91年日刊スポーツ入社。96年アトランタ五輪、98年サッカーW杯フランス大会など取材。広島、G大阪などJリーグを中心にスポーツ全般を担当。