さらば平成、ありがとう平成。30余年にわたる平成が終わります。あんなことがありました。こんなこともありました。プロ&アマ野球、サッカー、芸能、社会、中央競馬…と平成を通してがっつり取材してきた日刊スポーツ大阪本社のベテラン記者陣が、それぞれの分野での取材を振り返りながら、平成を語ります。

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Jリーグ26年間の歴史で関西勢の優勝は、平成17(05年)、平成26年(14年)のガンバ大阪しかない。その関西の老舗クラブも93年のリーグ発足から数年はひどい状態だった。練習場に足を運ぶと、選手による監督批判は日常的。ある選手は某女優に会うために大阪-東京をマイカーでぶっ飛ばし、徹夜で帰阪して練習に参加した逸話がある。恋愛は自由。でも、体調管理ができず結果を出せなかった。G大阪は松下電器(現パナソニック)のお荷物子会社とやゆされた。

負の歴史は、平成14年(02年)に招聘(しょうへい)した西野朗監督が変えた。計10年間指揮し、平成17年の初優勝に導いた。人情的な一面を持ちつつ、方向性が合わない主力を放出してまで鉄の管理を貫いた。失点も多いが超攻撃的な展開で多くのタイトルを取り、某家電量販店から届いたローカルCMの出演ギャラは1000万円。推定年俸は1億円の大台へと跳ね上がった。常勝軍団へと変身させ、絵に描いたようなサクセスストーリーを歩んだ。平成30年(18年)ワールドカップ・ロシア大会で日本代表の指揮を執った西野監督の勇姿は、G大阪を再建した姿そのもの。プロスポーツにとって「監督」とは最大の存在だと教えられた。