<世界陸上>◇22日◇男子マラソン◇ベルリン・ブランデンブルク門発着(42・195キロ)

 【ベルリン22日=佐々木一郎】男子マラソンの佐藤敦之(31=中国電力)が、日本の伝統を死守した。30キロ地点で14位だったが、35キロで9位まで浮上し、最後の2キロで2人を抜いた。2時間12分5秒で6位入賞。99年セビリア大会から続いた日本勢の入賞以上の成績を「6大会連続」に伸ばした。清水将也が11位、入船敏が14位、前田和浩が39位、藤原新が61位。上位3選手の合計タイムによる団体戦で、日本は銅メダルを獲得した。アベル・キルイ(27=ケニア)が2時間6分54秒で優勝した。

 ブランデンブルク門の下で、佐藤はほえた。ゴールするなり「やったあ!」と腹の底から声が出た。佐藤より上位は、アフリカ勢の5人だけ。中国電力の坂口監督は「価値ある。本当に価値がある。こういうレースになっても粘っていけば、未来が開けることを示せた。本人にとっても、日本男子マラソンにとっても…」と力を込めた。

 15キロ以降は、ハイペースの先頭集団についていくことを自重した。だが、気持ちは切らさない。「アツシくん、ファイトー!」。沿道から聞こえる妻美保さん(31)の声も励みになった。30キロで14位、35キロで9位。最後の1キロで2人を抜くと6位まで浮上した。日本マラソン伝統の粘り。「最後は気持ち、本能で走りました」と振り返った。

 昨年8月の北京五輪は体調が悪く、最下位を独走した。屈辱にまみれた。あれ以降、気持ちが切れかけた。監督に止められても練習をやめなかった男が、朝練習を休むこともあった。「隠れてサボって、なさけなかった。これで終わるのかなと思った」。

 だが、妻に救われた。「体調が悪かったら、帰ってくればいい。ありのままでいいんじゃない」。元日の全日本実業団対抗駅伝は区間5位。「今まで勝っていた選手にも負けた。それじゃあ、面白くないなと思った」。ここから再起への道が始まった。4月のロンドンマラソンで8位に入り、ベルリン行きの切符をつかんだ。

 世界の高速化が進み、男子マラソンのメダルは現実視しにくい状況にある。北京五輪も日本人最上位は13位。ズルズルと世界との差が開きかけた時、価値ある入賞で踏みとどまった。「勝負より入賞を狙った走りだった。でもトラックならファイナリスト。6位は誇りだし、低く捕らえないでほしいです」とプライドを示した。

 惨敗の五輪から、わずか1年。「男子マラソンが弱いと言われるのは、一番嫌。でも、流れをつくったのは誰かといったら自分。監督からも『あきらめないDNAをつないでいけ』と言われていました」。がけっぷちで、佐藤が食い下がった。