日本陸連は28日、東京都渋谷区の岸記念体育会館で理事会を開き、バルセロナ五輪のマラソン代表残り4選手を決めた。女子は、大阪国際優勝の小鴨由水(20=ダイハツ)と世界選手権4位の有森裕子(25=リクルート)に決定。男子は、森下広一(24=旭化成)中山竹通(32=ダイエー)に決まった。中山以外は全員初出場になる。大阪国際2位の松野明美(23=ニコニコドー)は補欠にせず、1万メートルに出場させたい意向を明らかにした。

予定された記者会見場に松野の姿はなかった。熊本市上南部町のニコニコドー本部。松野の胸中を代弁する小山部長と岡田監督の重々しい声だけが、報道陣でごった返す会見場に響いた。

岡田監督が遠くに視線を漂わせながら口を開く。「本来なら松野がここに来て、お話しするところでしょうが、何しろそんな状況ではないものですから。松野には、お前を選ばなかった陸連が選べばよかった、と思うようにこれからも頑張るように、と話しました」。言葉を探すようにポツリポツリ。「私を選んでください」と異例の記者会見を開いた時とは、比べものにならない意気消沈ぶりだった。

松野のショックは計り知れなかった。早朝のテレビニュースで「有森出場」を知った岡田監督が、小山部長とともに松野を合宿所に訪ねたのは、午前9時半だった。岡田監督の「どうもダメらしい。有森で決まったようだ」の言葉に、松野は絶句。4、5分間は声を失ったという。

次の瞬間、もう涙がほおを伝わり、「五輪出場は間違いないと思っていたのに、なぜなんですか。一生懸命やってきたのに、なぜなんですか」と、岡田監督と小山部長に食い下がったようだ。

ショックの松野は、練習にも参加せず、姿を消してしまった。岡田監督の喜代子夫人(50)とともに、熊本市内のホテルにこもったまま、中学陸上選手130人の前で講演する予定をもキャンセルしている。

小山部長は「(引退は)本人次第。中学、高校の恩師とも相談しなさい、と言ったが、引退は全く予想していないことではない」と、複雑な表情で語った。

この日、陸連から「オリンピック強化選手なので、健康診断を受けてほしい」という文書が届いた。しかし、岡田監督はキッパリと「1万での強化選手ということなら(健康診断は)受けさせない」と口頭で返答している。走ることが好きな松野にとって大きな転機かもしれないが、23歳はまだ若い。4年後のアトランタもある。そして、トラックでバルセロナを狙うことも十分できる。

 

■有森「松野さんに関してはノーコメントです」

五輪内定の通知を受けた2時間後の午後8時、有森は地味なグレーのスーツ姿で東京・銀座のリクルート本社の会見場に現れた。念願の五輪代表に決まったというのに表情は硬く、化粧もしてない。「まだ正式決定ではないので、明日通知を受けてから喜びたい」と、言葉を選んだ。

親友の松野との激しい代表争いに勝ったためなのか、手放しで喜べない複雑な心境だった。「苦しかった。でも、これを乗り越えたら上があると思ってました。内定の報告は合宿所の電話で監督から聞きました。長かったなという気持ちです。松野さんに関してはノーコメントです」。

松野は26日に異例の決定前会見を開いて代表を嘆願。「有森さんと走れば勝つ」という過激発言も飛び出した。有森は最後まで沈黙を通したが「これだけは信じてほしい。私も一緒に走るつもりでしたが、本当に故障で走れなかったんです。トラックで一緒に走ったら負けるだろうと思います。でも、レースは運が左右するもの。勝敗はわかりません」と訴えた。

今後は、4月後半にバルセロナに渡り本番コースを試走。その後、7月中旬まで米国かメキシコで高地トレーニングを積む予定。五輪まで帰国しない可能性が強い。「持てる力を出し切るだけ。時間、順位の目標は、練習で自信がついたら発言します」。そう言い切ると、初めて浅黒い顔から白い歯がこぼれた。

 

■松野に陸連「トラックでも戦える」

「男子は、金メダルを狙える選手、女子は上位を狙える選手ということを基準に選びました」。午後5時30分、3時間強の理事会を終えた帖佐寛章日本陸連専務理事が、説明を始めた。テレビカメラがずらりと6台、100人を超す報道陣が、帖佐専務理事、小掛照二強化本部長、大串啓二強化委員長を囲んだ。

「男子は森下と中山、補欠を篠原(太、29=神戸製鋼)に、女子は小鴨、有森、補欠に谷川(真理、29=資生堂)を理事会案としました」。帖佐専務理事の話に続いて、小掛本部長が選考経過を説明する。「男子は、8名の候補者の中からまず森下を、そしてソウル4位の実績と、東京国際の安定した走りから中山に決めた」と話した。

「女子は、初マラソンで日本最高、世界歴代9位の小鴨、経験豊富な有森に」と小掛本部長。有森と代表を争った松野については、「トラックでも十分に戦える。アトランタのマラソンのために、バルセロナでは1万メートルに挑戦するよう指導したい」とした。

前日(27日)の強化本部会での原案が、「反対は一切なく」(帖佐専務理事)通って決定した理事会案。きょう29日の評議委員会で承認され、正式決定となる。5選考レースを設けて、今回も難航した代表選びだが、「世界選手権での好成績(金、銀各1)は、4選考レースを経て、強化本部会と選手が密に連絡を取り合っての成果」と、帖佐専務理事は話した。

 

<バルセロナ五輪女子マラソン代表>

山下佐知子(やました・さちこ)1964年8月20日、大阪府生まれ。鳥取大-京セラ。156センチ、40キロ。

小鴨由水(こかも・ゆみ)1971年12月26日、兵庫県生まれ。明石南高-ダイハツ。171センチ、49キロ。

有森裕子(ありもり・ゆうこ)1966年12月17日、岡山県生まれ。日体大-リクルート。164センチ、48キロ。

 

<小鴨由水の話>私より力が上の人がいるかもしれないのに選ばれてラッキーだなあと思います。選ばれなかった人のためにも頑張らなければならない責任を感じます。レースでは自分の力を出し切るようにしたい。既にバルセロナも下見をし、30キロからのコースも2度走りました。モンジュイックの丘は予想していたよりもきつくなかった。 (米国で高地合宿中)

 

■「有森との密約はない。心外だ」

「ここからはご遠慮願います」。議題がバルセロナ五輪マラソン代表選考に入った午後3時38分、報道陣に声が掛かった。28日、注目された日本陸連理事会(議長・青木半治同陸連会長)は、24人中一人が欠席しただけで行われた。非公開になってから約1時間30分、マラソン代表決定までの激論、討論を繰り広げた「仮想理事会」を再現すると……。

午後3時40分、岸記念体育会館5階、2部屋を使った会議室から約100人の報道陣が退席する。人事、選考などは、過去も非公開。室内にはたばこの煙が立ち込め、空気がよどむ。とびらが閉まり小掛照二強化本部長が立ち上がった。

小掛強化本部長 昨日の強化本部会での原案を説明いたします。男子は森下、中山、補欠は篠原で、女子は有森、小鴨。松野については、補欠ではなくトラックで要望する。女子の補欠は谷川です。基準はメダル獲得、男子はメーンポールと考えている。

理事 週刊誌などでかなり混乱したが、この点は。

小掛強化本部長 有森との密約、あるいは有利と公言した事実は全くない。心外だ。

強化本部 先ごろのカタルーニャマラソンのデータを駆使し決めた。選考基準は手元の資料を見てください。

理事 九州の理事として、落選した松野についての説明を地元にはきちんとしなければならない。これでは納得できないし、もっと細かいデータを出してほしい。

理事 ある新聞の読者アンケート(19日付日刊スポーツ)では残り二人の代表は、小鴨と松野など松野支持が最も多い。このあたりは考慮しなくていいのだろうか。松野への注目度はかなりのものだ。

理事 暑さ、坂に強いというが、何を根拠にするのか、身体的な適性データで説明してほしい。それに女子はもうひとつ基準が不明確だ。

小掛強化本部長 細かい適性データは科学部が作成している(2枚の詳細データが提出される)。

男子は、「中山選手は他選手を二流ランナーだと言ったり、言動が誤解を招きかねない」という意見が出ただけ。経験のある中山を起用した選考に反対意見はなかった。逆に女子は、松野の落選で激論が始まる。九州、そして一部を除く中国地方の理事などが「連合」する形で松野落選、1万メートルへの裏付けを迫ったようだ。

大串啓二強化委員長 松野にはスピードがある。まだまだトラック、マラソンの両方で女子をリードしてほしい。昨年はスランプだっただけ。今、一万メートルをやることで、アトランタにつなげるだろう。松野-小鴨の初マラソンコンビでは不安もある。世界陸上の重みで、有森の経験を重視したい。

理事 松野自身、もうトラックはやらないと言っている(26日の会見から)。補欠に置かなければおかしい。

理事 気持ちは分かるが、これがベストの布陣ともいえる。逆に地元として、あのような異例の会見をやめさせる指導をするべきだった。

理事 それは……。

河野洋平副会長 経験の重視はよく分かったが、松野と有森の優位性がはっきりしない。何かで比較できないか。

浜田安則長距離担当 女子の場合、世界陸上と大阪国際では3〜4分の違いがある。例えば、両方を走ったドーレ(ドイツ、世界陸上銅メダル)も東京では3分悪いタイム。厳密な比較は無理だが、4分のハンディはあったと思う。バルセロナの8月9日(男子マラソン開催日)はちなみに、湿度は40〜50%。気温は25〜30度くらいです。

青木半治会長 有森への反対意見がないのなら、原案を支持してもらう方向で考えてもらいたい。今後の選考レースについてはいかがでしょう。

河野副会長 底辺も広がり、国民の関心も高い。マラソンのメダルはいわばみんなの悲願のようなもの。一本選考の時代に入ったと思う。

理事 今後小委員会をつくり検討してはどうでしょう。

小掛強化本部長 皆さんの期待にこたえるよう男女ともメダルを持ち帰りたい。

松野へは、異例の会見直後にもかかわらず「気の毒だ。温かく見守る」「引退など絶対ないように」という要望が多く出たという。

きょう29日、評議委員会で決議されるが、地域代表だけに、さらに激論が交わされる可能性もある。 【増島みどり】