<世界陸上:目覚めよニッポン>世界に打ち勝つ侍の流儀

 日本人のトラック競技で唯一、世界選手権2度のメダルに輝いたのが、男子400メートル障害の為末大(33=a-meme)だ。戦前の下馬評を覆し、01年のエドモントン大会(カナダ)05年のヘルシンキ大会(フィンランド)で銅メダル。身体能力で劣る日本人アスリートが、世界の表彰台に上がるにはどうすればいいのか。自らの経験をもとに、為末が「侍ハードラー」の流儀を伝授する。◆戦略持つべし

 05年大会、為末の策士ぶりが光った。男子400メートル障害の決勝8人中、持ちタイムは最下位。激しい風雨で競技が中断される中、レース直前まで考え抜いて取った行動は、前方の7レーンから1台目のハードルまで全力疾走だった。

 為末

 若い選手が多く、強風だったんで、かっ飛ばせば(後ろが)焦るだろうと。

 はたから見ればペース無視の暴走。だが、この陽動作戦に周囲はつられた。8台目までトップ。9台目で2人に抜かれ、10台目で並ばれた。それでも最後のゴールには頭から飛び込み、3着を死守した。

 為末

 その方が速いっちゃ速い。胴体が進めればいいんで。何より漠然と臨むんじゃなくて「ここはこう」と戦略でいくんだ、と。◆垣根つくるべからず

 嵐のレースを制したのは、経験と独創的なアイデアによるものだ。この勝負勘はどうやって磨かれたのか。それは00年シドニー五輪にまでさかのぼる。

 為末

 シドニー(の1次予選)で強風に転倒した時、経験の少なさと視野の狭さを痛感した。経験があれば、あの時も対応できただろうし。いろんなことが、そこからきていると思った。日本の中でも外へ行かなきゃいけないし、日本の外にも出て行かなきゃいけない。いろんなとこ見て、いろんなこと探しながら。

 幕末の藩士のように海を渡った。海外レースを転戦し「どうすれば速くなるのか」ばかり考えた。その努力が5年後、強風に泣いた男が、強風に笑った。

 為末

 使うかどうか分からないアイデアは結構いっぱいあるんですよ。こんなことやったら通用するんじゃないか、というのバーッとためて。その100個あるうちの1個か2個が、たまたまはまる時ある。そんなイメージでしたね。◆外から日本知るべし

 現在は米国に拠点を置き、外から日本を見る。世界と戦うための行動とは?

 その問いに、熱く日本陸上界の「維新」を訴えた。

 為末

 日本の陸上界は鎖国してます。日本古来の強さ、日本人に向いたものは絶対にある。それがなぜ日本古来か、外から見ないと分からない。なのに外から見た経験のある選手は少ない。幕末のころもそう。世界中のありとあらゆるものをかき集め、つくり上げた。例えばドイツにも1人、フランスにも1人というように各国に日本人がいて、それぞれ情報を持ち寄り日本陸上界で共有されるみたいなのがあればいい。◆己の頭で考えるべし

 競技力向上には、さまざまな視野を広げることも大事な要素である。つまり人間の器を大きくすれば、より吸収もしやすくなる。

 為末

 技術とか栄養学とかを言う前に、自立性。やっぱり個がちゃんと独立して、自分の頭で考えて行動できるというのが重要です。ある種、日本の教育の根幹みたいな話。もっと自分で判断して取り組めば、失敗したとしても自分の身になる。そこから強烈な反省をするんです。【取材・構成

 佐藤隆志】