2016年のリオデジャネイロオリンピック・パラリンピック大会が終わってから、次の大会は”TOKYO”で行われると期待を込めて、引退時期を伸ばしたアスリートはどれだけいただろうか。

その大会が延期されるなんて、想像もしていなかっただろう。2020年に入り、「いよいよ」という気持ちと裏腹に、新型コロナウイルスの脅威に日常のトレーニング、生活も不安を覚えていたころ、3月24日に延期が決定され、3月30日には2021年夏の実施が決まった。

3月は競泳で言えば、4月に行われるオリンピック選考会の直前調整に入っている時期だ。さまざまな環境、状況下にいたアスリートたち。「2020年まで頑張ろう!」そう思っていた1人だったベテラン選手を紹介したい。


東京オリンピックのオープンウオータースイミング(OWS)で13位の成績を収めた貴田裕美(きだ・ゆみ)選手だ。彼女は2021年6月にポルトガル・セチュバルで行われた世界最終予選を突破して、東京オリンピック出場を決めている。

実は前年の2020年2月、カタールでのワールドシリーズで競技中のアクシデントによって肋骨(ろっこつ)を骨折していた。そのときは「すごく痛かったが、最後まで泳ぎきった」という。帰国後に骨折と診断された。もし東京大会が延期されていなければ、その年に予定されていた世界最終予選を泳ぐことはできず、東京オリンピックにも出場していなかっただろう。

これまで引退を何度も考えた彼女の「ラストスイム」は、OWSで東京大会に出るという強い気持ちによってかなうことになった。


元々、競泳の選手だった。2001年福岡での世界選手権では、私も一緒に日本代表になった。800m、1500mを専門とする選手だった。年齢は私の1つ下。同世代として、仲間意識もあった。今回のオリンピックは、36歳での挑戦だった。

なぜ、OWS選手になったのか。2010年アメリカ・アーバインで行われたパンパシフィック選手権で、貴田選手の転機が訪れた。800mで日本代表として出場しながら、2008年北京大会から正式種目となったOWSに誘われて出場してみることになったのだ。

本人から聞いた話だが、競泳の試合を終えて、朝早くOWSの試合に行く時、私を含め他の選手たちが見送りしてくれたのがうれしかったそうだ。私は自分が背泳ぎから自由形へ転向した時期にも重なり、貴田選手のチャレンジに勝手に親近感を持って、エールを送っていた。

この大会での結果は最下位だった。出場した選手も少なかったが、凍える寒さの中での水泳、プールとは違う環境に対して、何も対策ができなかったという気持ちになった。

水泳というとプールのイメージが強いかもしれないが、OWSは水泳競技で唯一、自然と共に競技をしなければならない。波、潮の流れ、天候、さまざまな自然の要素を考慮に入れることが必要になる。プールでの競泳はコースロープがあり、自分だけの泳ぎに集中できるが、OWSは一斉スタートからライバルたちと10キロという距離の中でけん制し合いながら、ブイを確認することや、コースを確認するために顔を上げて(ヘッドアップして)泳ぐことになる。この自然の中で泳ぐ過酷さと、100分の1秒を競う競泳とは異なる種目に魅了され、貴田選手はオリンピックの夢と共に転向した。

貴田選手の泳ぎは、長距離選手にしては珍しくテンポが早い。そして、このテンポが長い時間変わらず泳げる。本人が当時、「距離が長くなればなるほど、調子が上がる」と言っていたのを、今でも思い出せる。潮の流れや波に翻弄(ほんろう)されにくい泳ぎだった。

私も現役引退後にOWSの一般の試合に何度か出場したが、競泳では長所といわれたストロークを長くしっかりかく私の泳ぎは逆に疲れやすく、かかない方がいいとOWSのコーチに言われたことがある。

2012年のロンドンオリンピックでは、OWS会場がハイドパーク内の人口湖ということで、波も少なく、泳力の高い選手が勝った。貴田選手はその中でも12位と健闘した。その後、海外の遠征も積極的に行い、試合数を重ねて、2014年のパンパシフィック選手権では5位となった。リオ大会は過酷な環境、波も高かったが、ここでも12位だった。

10キロは約2時間強、泳ぐ。本当に「水泳のマラソン」だ。先頭集団にいないと最後のラストスパートは効かない。ラストスパートといっても、残り3キロ以上ある。貴田選手によると、この10キロという距離こそがいいのだと。「勝負するところがたくさんある。毎回環境が異なるため、強い選手に勝てるチャンスがある」からだそうだ。この言葉を聞いて、「人生という長い旅路にも似ているな」そう感じた。10キロは長いし、つらい。しかし、その中で喜びを見つけて、楽しむ力を貴田選手から私は学んだ。

東京大会が引退レースとなった貴田選手。今後は、もっともっとOWSを知ってもらって、社会人でもできる環境作りをしていきたいといっている。長く競技を続けてきた彼女だからできることがたくさんある。「本当にお疲れさま。そして、共にがんばろう!」そう伝えたい。(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)