後楽園大会 サーベルを手に場外で暴れまくるタイガー・ジェット・シン(2007年4月19日撮影)
後楽園大会 サーベルを手に場外で暴れまくるタイガー・ジェット・シン(2007年4月19日撮影)

「インドの狂虎」の異名で一世を風靡(ふうび)した悪役プロレスラー、タイガー・ジェット・シンが運営する財団が2月25日、日本の駐トロント総領事から在外公館長表彰を授与された。東日本大震災で被災した児童への支援活動などが評価されたという。「(日本は)家族のように感じる人たちが大勢いる」との授与式でのコメントを聞いて、彼との距離がグッと縮まった気がした。

30年ほど前、プロレス担当だった私は、シンの試合になるとリングサイドの記者席から逃げ出した。それほど怖かった。彼には記者も観客も関係ない。目の前にいる人すべてが攻撃対象で、場外乱闘では観客がイスごとなぎ倒された。私は取材よりも我が身大切で、誰かれかまわずサーベルを振り回す無法者に話を聞く勇気はなかった。

悪役レスラーもリングを離れると常識人だったりするが、シンは変わらなかった。試合前に会場でトレーニングする姿を1度も見たことがない。ホテルの部屋や非常階段で練習メニューを消化していると関係者から聞いた。努力したり、人と親しくするのは悪役のイメージにはそぐわない。それを彼は心得ていた。プロ中のプロだった。

その真骨頂が有名な「猪木夫妻、新宿伊勢丹前襲撃事件」。73年11月、新宿の伊勢丹デパートから当時の倍賞美津子夫人と出てきた猪木を襲撃。血だるまにして警察も出動する騒ぎになった。実はこの事件を仕掛けたのも、サーベルを凶器にと提案したのも猪木自身。「シンが持っていた独特の狂気を引き出すことに成功した」と06年に日刊スポーツに語っている。

1977年、タイガー・ジェット・シン(下)にスピニング・トーホールドを決めるアントニオ猪木
1977年、タイガー・ジェット・シン(下)にスピニング・トーホールドを決めるアントニオ猪木
ジャイアント馬場さんの首を絞め上げるタイガー・ジェット・シン(1985年1月22日撮影)
ジャイアント馬場さんの首を絞め上げるタイガー・ジェット・シン(1985年1月22日撮影)

地元カナダ・トロントでは一貫してベビーフェース(善玉)の人気レスラーだった。日本での稼ぎを元手に実業家としても大成功。カナダ国内にはホテルを含む10棟以上のビルを持ち、トロント郊外には広大な敷地に豪邸がある。ずっと以前から自ら設立した財団で社会貢献活動を続けていた。それを日本で口外しなかったのは“ヒール”としてのプロ意識からだろう。

佐々山・駐トロント総領事(左)から表彰状を受け取るタイガー・ジェット・シン氏(中央)と息子のジュニア氏(駐トロント総領事館公式ツイッターより)
佐々山・駐トロント総領事(左)から表彰状を受け取るタイガー・ジェット・シン氏(中央)と息子のジュニア氏(駐トロント総領事館公式ツイッターより)

授与式では「日本では多くの人に愛されている」ともコメントした。「インドの狂虎」という分厚い仮面で隠された素顔を、ようやく見た気がした。まだ少し怖い気もするが、今度シンに会ったら勇気を出して話を聞いてみたいと思った。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)