フィギュアスケートが面白いのは、実際の順位と自分の好みが必ずしも合致しないところだ。それは自らの美意識や価値観、人生観を選手の演技に投影して見るからだと思う。北京五輪の男子の金メダリストは多彩な4回転ジャンプを決めたネーサン・チェン(米国)。その結果に異論はない。それでも私は羽生結弦の美しい演技にひかれる。

近年、ジャンプの技術は急激に進歩した。男子選手が跳ぶ4回転ジャンプの種類と数は五輪のたびに増加して、その正否でほぼ成績が決する。これは時代の流れだから仕方ないが、私の理想のフィギュアスケートは、曲と振り付けを見事に一致させた表現力に、質の高いジャンプが溶け込んだ演技。その視点で見ると、今の羽生結弦の力は抜きんでている。

私の原点は、91年3月にミュンヘンで開催された世界選手権。取材のお目当ては女子の伊藤みどりだったが、男子2位ビクトール・ペトレンコ(ウクライナ)の、バレエダンサーのような美しい演技に魅了された。優勝した当時唯一の4回転ジャンパー、カート・ブラウニング(カナダ)より、優雅で気品に満ちたペトレンコの演技にフィギュアの魅力をより強く感じた。

長い間、この競技は「ジャンプか演技力か」の議論が続いてきた。それを一体化させたのが羽生だと私は思っている。ジャンプの前後にも高難度のステップを華麗にこなし、スピンもジャンプも美しさが際立つ。まるで振り付けにピアノの旋律が合わせているように、演技全体の質が高いからだ。彼自身も物語の主役になりきっている。

北京五輪ではショートプログラムで氷の穴に靴のエッジがはまり、冒頭の4回転ジャンプが空回りする不運に見舞われた。フリーではリスク覚悟で挑んだ4回転半ジャンプに失敗して、総合4位に終わった。3連覇は途絶えたが、今回は羽生の五輪ではなかった、ということだけだ。依然として彼が、チェンの最大のライバルであることに変わりはない。

これからもジャンプの進化は続くだろう。しかし、羽生には新たなジャンプにこだわらず、自分のフィギュアスケートを極めてほしい。20日のエキシビション終了後、彼は「“羽生結弦のスケート好きだな”と思ってもらえる演技を続けたい」と語った。メダルの色も超越した、羽生結弦の美しい円熟の演技を、4年後の五輪でもう1度、見たいと思った。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)