いつでも自由でいたい-。そんな思いを力いっぱいに主張するように、成田緑夢(25)のユニホームは上下とも真っ白だった。

6月1、2日に大阪で行われた日本パラ陸上選手権。成田は男子走り高跳びのT44(下肢障害)クラスに出場した。競技の詳細はニッカンスポーツ・コムでもお伝えした。バーの真横の方向、角度のない位置からの助走、自らが持つ日本記録にあと2センチと迫る1メートル82を跳んだにもかかわらず、その後の試技をあっさりキャンセル…とサプライズ連続の“グリム・ワールド”だった。

成田は今、たった1人でトレーニングしている。コーチも、決まった練習拠点もない。その理由は「僕と一緒にいろいろ考えてくれて、いいものを見つけ出せる人ならいいのですが…。なかなか合う人は見つからないです」。昨夏の国内大会に出場した際、「僕には人や物が発するエネルギーがカラーで見えるんですよ」と告白し、取り囲んだメディア関係者を驚かせたことがある。独自の感性、思考、発想、能力をベースに行動を起こす。そこから生まれたユニーク助走と試技キャンセルだったのだろう。

18年平昌パラリンピックのスノーボードで金、銅メダルを獲得後、同競技からの引退と夏季オリンピック(五輪)、パラリンピック出場を目指すことを表明した。カヌー、ボート、クレー射撃、馬術、ゴルフなどにチャレンジしながら、身辺も整理した。それまでのスポンサー、マネジメント契約を見直し、現在はまったくのフリー。仲のいい友人、知人による「成田緑夢チームスタッフ」がSNSで情報を発信し、LINEを通じてメディア出演や取材依頼を調整している。

父親のスパルタ指導で知られた「成田3きょうだい」の末弟。兄、姉はトリノ五輪スノーボード代表だった。かつて「父が『脳』で、僕たちは『ロボット』でした」と振り返ったことがある。19歳の時、トランポリンでトレーニング中に左足腓骨(ひこつ)神経まひの重傷を負った。障がい者になり、パラアスリートとして自立したことでスポーツの楽しさ、意義を知った。「僕が競技をすることで、見てくれる人に少しでも勇気や希望を与えられたら」という思いが成田のエネルギーになっている。

五輪は先送りして、現在は走り高跳びで東京パラリンピック出場を目指している。思いのままに、心の赴くままに挑戦は続く。最終的には夏冬の五輪、パラリンピックの4大会出場も視野に入れる。周囲の都合や期待、しがらみなどにからめ捕られている時間などないに違いない。

真っ白なユニホームはスポンサー募集の意思表示か、と問われた成田は「5秒間、時間ください」と言って、両手の人さし指を左右のこめかみに押し当ててグリグリしながら考え込んだ。「まぁ、そういうことにしておいてください」。出てきた答えは本音100%とは思えなかった。

成田緑夢は才能に富んだ自由人なのだ。

【小堀泰男】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

19年6月2日  男子走り高跳び(切断などT44)決勝 成田緑夢は会見でジャンプの感覚を身ぶり手ぶりで説明する(撮影・小堀泰男)
19年6月2日  男子走り高跳び(切断などT44)決勝 成田緑夢は会見でジャンプの感覚を身ぶり手ぶりで説明する(撮影・小堀泰男)