18年平昌オリンピック(五輪)フィギュアスケート女子の金メダリスト、アリーナ・ザギトワ選手(19=ロシア)が約1年半ぶりの来日を終えて27日に帰国しました。19年12月以来の訪日で、新型コロナウイルスが日本でも感染拡大してからはもちろん初めてです。今回は「文化・スポーツ日露友好コンソーシアム」に招待されて5月15日から13日間、滞在しました。
23日は秋田・大館市を訪れ、日露合作映画「ハチとパルマの物語」(28日から公開中、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国)の上映会に参加。同市の秋田犬保存会から贈られた愛犬「マサル」を飼っている縁もあり、本人役でシネマ初出演した作品の舞台あいさつに立ちました。「秋田犬の里」ではマサルの兄弟犬「勝大(しょうだい)」に会い、都内では25日に日露友好の特別プログラムを収録しました。
一方で気になります。コロナ禍の中、ザギトワ選手はどのように過ごしていたのでしょうか。コンソーシアムの一員として招待に尽力、滞在中もフルサポートした株式会社CBの谷岡弘邦代表取締役(39)に舞台裏を聞きました。
来日は15日。本人、母親と演出家アララット・ザガリアン氏の3人という最少人数でした。一行は出国前72時間以内に検査を受け、陰性証明書を携えてフライト。日本に降りてからの空港検疫もクリアし、到着日を0日と数えて3日間(18日まで)はホテルで完全隔離されました。その最終日に19歳の誕生日を迎え、スタッフから贈られたケーキや飾り付けで祝福されました。
5日後の大館市では、上映会場に設置されたボックスにファンからのバースデープレゼントがぎっしり。本人も「すべての贈り物や手紙に目を通しました。ありがとうございます」と感謝し、秋田犬の里からは母国で待つマサルのためにドッグフードが贈られ「マサルが恋しい」と、とても喜んでいたそうです。
「全期間、ホテルの1フロアを貸し切りにしてバブルの中で過ごしていただきました」と谷岡代表。ザギトワ選手も「コロナで大変な時期ですが、日本に来られて大変うれしいです。すべてのルールを守って来ることができました。アイスリンクと大館市への訪問以外はずっとホテルにいました」と語った通りの生活を送りました。
前提として、プロジェクトが動きだした時には、ここまで緊急事態宣言が延長されるとは見通せなかった状況。その中で今回、日本とロシアの友好を深めることを目的に、日露地域・姉妹都市交流年でもある21年のうちに、主に文化庁の協力で来日が実現しました。
一方で厳しい行動制限が課せられました。スタッフは3日に1回のPCR検査等が義務付けられ、検査結果を当局に提出。ザギトワ選手も、誓約書で申告した宿泊施設や用務先への移動しか許されません。動線が交わってもいけないため、もちろん公共交通機関も利用できません。大館市には車で約10時間かけて移動しました。報道陣も接触度合いによってPCR検査、抗原検査が求められ、会場内でもザギトワ選手のルートは横切ることもできないほど対策が徹底されました。
食事に関しては「当然、外食はできませんので。すべてホテルでお取りいただきました」。滞在期間を通してロシア料理や和洋中のデリバリーを受けるため飲食店と提携。感染予防策でルームサービスが休止だったための代案でした。伝統的スープのボルシチが常備されるなど、可能な限りストレスがかからない環境が整えられました。
外出もできませんが、谷岡代表は「普段の来日と違い、今回は少しリフレッシュできたようです」。大館市への10時間ドライブは「さすがに大変そうでした」と心配しましたが「都内や関東近郊をドライブし、東京の街並み等を車窓から楽しむ時間をつくりました。これまではアイスショーやイベントなど予定が詰まっていて、多忙なスケジュールでの来日が多かったのですが、今回は車の中から、ではありましたが『大好きな日本を楽しめた。ゆっくり過ごせた』と。皇居を1周した際には、窓にしがみつくようにして外を見ていましたね」と振り返りました。
このほか、ロシア大使館を訪ねる予定もありましたが、基準を満たす検査や動線確保が難しいためキャンセル。それほど厳格な感染症対策が最後まで続きました。反対に実現したのが、衆院第1議員会館への表敬訪問です。衆院予算委員長室に金田勝年元法相(秋田2区)を訪ね、同議員が実行委員会の顧問を務める「ハチとパルマの物語」や秋田犬について語り合いました。金田委員長も3日前、当日、3日後の検査に応じての面会でした。
そして25日。都内で特別プログラムの収録が行われました。白銀の衣装で、CHEMISTRY堂珍嘉邦さんが歌う映画の主題歌「愛の待ちぼうけ」の特別アレンジ版に合わせ、絹のようになめらかなスケーティングやスピンを披露しました。日露関係のさらなる強化や、世界が平穏を取り戻すことを祈念して。
谷岡代表は「来日の理由は、氷の上で演技していただくためです。彼女は女優ではありませんので、映画の宣伝だけでは100%、ロシアフィギュアスケート連盟からの来日許可が下りません」と断言します。コロナ禍の中、出入国が認められた理由はただ1つ。「世界トップクラスのフィギュアスケート選手として、日露友好の架け橋となるべく、特別プログラムを舞うこと」でした。文化庁が認める判断基準に「世界トップクラスの実演家等」とあり、ザギトワ選手も自身が来日する意義を心得ていました。
「日本人(堂珍さん)が作曲した音楽と、日本人(宮本賢二さん)が振り付けを手掛けたプログラムを踊ることができて、とてもうれしいです。これは日本とロシアの結び付きを示し、両国間の友情を示すものです」
すべての活動を終えた五輪女王は27日に「また会いましょう」と関係者に手を振り、満面の笑みで出国したそうです。「私の滞在が少しでも楽になるよう、皆さんが力を尽くしてくださいました。ですから、私が事前に想像していたよりは困難ではありませんでした」と頭を下げた13日間。誰1人も陽性者を出すことなく、アテンドを終えた谷岡代表は「最後まで御本人の安全を守る重圧と、付きっきりの対応や文化庁と緊密に連携を取り続けるハードな日々は想像以上でした」と胸をなで下ろしました。そしてザギトワ選手の締めの言葉に、労が報われました。
「また来たいです。日本は私にとって大好きな国。早くコロナが収束し、距離を取らずに皆さんと仲良くできることを願っております」
こうして撮影が行われ、現在は4画面マルチアングル動画として映像編集作業が進む特別プログラムは6月中~下旬からauスマートパスプレミアムで配信される予定です。【木下淳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)
◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。04年入社。文化社会部で新垣結衣さん、東北総局で大谷翔平投手ら取材。整理部を経て13年11月から現東京五輪パラリンピック・スポーツ部。主にサッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和やリオデジャネイロ五輪、W杯(ワールドカップ)ロシア大会の日本代表を担当。20年1月から夏は東京五輪・パラリンピック組織委員会など、冬はフィギュアスケート取材。