8月16日、2輪アジアロードレース選手権に参戦中の埜口遥希さん(22)がレース中の事故により亡くなった。
埜口さんはレース中にほかの選手と接触し、クラッシュに巻き込まれた。
サーキットでその走りを見たり、言葉を聞いたりした選手が亡くなるのは本当につらい。
記者は今年の鈴鹿8耐、レース後の入賞者会見で埜口さんのコメントを聞いていた。埜口さんは負傷欠場となった国井勇輝の代わりに急きょチームに合流。会見ではチームメートの名越、浦本への感謝を口にしていた。翌週のアジア選手権への意気込みも語っていたが、そのレースでまさか帰らぬ人となるなんて…。
ホンダ・レーシングの渡辺康治社長が「レースのみならず何事にも前向き、意欲的に取り組む姿勢が印象的で、まだ22歳とこれからの活躍が楽しみだった中での逝去が、本当に残念でなりません」とコメントしたように、目標に向かって真摯(しんし)に進む姿があった。
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時をさかのぼること20年。
03年4月6日、鈴鹿サーキットで行われたMotoGP開幕戦日本GP。世界選手権の最高峰クラス参戦2年目の加藤大治郎さん(享年26)が、決勝レース3周目、130Rの立ち上がりでコントロールを失った。
シケインのスポンジバリアーに衝突して転倒し、意識不明の重体に。三重・四日市市内の病院で治療を受けていたが、同20日、亡くなった。
加藤さんは00年、イタリアのグレシーニ・レーシングからロードレース世界選手権GP250クラスにフル参戦。翌年11勝を挙げて、世界王者に輝いた。02年には最高峰クラスにステップアップ。大きくパワーのあるMotoGPマシンに苦しみ、未勝利に終わった。そのオフシーズンに肉体改造に取り組み、03年は初優勝を挙げるべく奮闘していた時の事故だった。
鈴鹿8耐は、00年に宇川徹さんとの参戦で初優勝。表彰台では宇川さんとともに、ツナギを脱いでファンにプレゼントして話題となった。
02年の鈴鹿8耐はC・エドワーズと参戦して自身2度目の優勝を果たした。
記者は02年の8耐で、加藤大治郎さんを間近で見た。
レース中の選手は、極限まで集中するあまり、表情が険しくなることが多い。だが、ピットで見る加藤さんからは不思議な穏やかさを感じた。表彰式は所用があってしっかり見聞きすることができなかった。だがプレスルームでモニターを見つめるほかの記者たちが、加藤さんのコメントに反応してときおり笑い声をあげていた。その様子から、加藤さんの人柄がうかがい知れた。
加藤さんの事故現場である鈴鹿サーキットのシケイン手前。そのほぼ真下には県道643号が走っている。観客席をつなぐ歩道も橋で、県道をまたぐ形となっている。その橋の南端の先、フェンスには今も加藤さんをしのんで在りし日の写真や花束、飲み物が供えられている。
今年、8耐決勝の午後、取材の合間に久しぶりにそこを訪れてみた。行き交うファンたちの何人かが、記者と同じようにそこで静かに手を合わせていく。
この20年間で何度かここを訪れたが、その光景はいつも一緒だ。
加藤さんが、多くのファンに愛されていたことを、この光景が物語っている。
記者は当時、電子メディアの運営にたずさわっていた。03年4月20日の午前中に加藤さんの訃報が流れた。ショックでぼうぜんとしつつも事実を報じた。
遺影に手を合わせながら、そのときの情景を思い返した。【大津賢一】
◆大津賢一(おおつ・けんいち)神奈川県秦野市出身、92年入社。整理部→電子メディア→整理部と内勤畑を渡り歩き、現在は報道部で釣り担当。幼少期から父親の影響で車好きに。学生時代にF1やルマン24時間レースなどをテレビ観戦し、その魅力に取りつかれる。94年からポッカ1000kmレースをほぼ毎年観戦。電子メディア時代には鈴鹿8耐取材や大阪の2輪レースチームの密着取材などを経験した。
(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)



