<連載:沼津中央初の全国制覇へ>

 男子の沼津中央(静岡)は過去3度の全国大会で16強、8強、4強と1歩ずつ成績を上げてきた。その背景には日本人選手のレベルアップがある。「シェリフ・ソウだけのチーム」という周囲の声に対する悔しさを、練習にぶつけ成長した。3年間の集大成。25日の2回戦からいよいよ日本一への挑戦が始まる。

 優勝候補の監督として本番を迎える杉村敏英(62)には不安がある。「順調すぎて落とすんじゃないかと怖い。去年、明成を倒した逆をやられるんじゃないかってね」。入学以来ずっと見守ってきた選手たちが、想像を超える成長ぶりを見せるが故のうれしい悲鳴だ。今年5月の招待試合能代カップ。全国の強豪6校で争われ、沼津中央は延岡学園(宮崎)洛南(京都)などを破り優勝。夏の北東北総体では、その延岡学園に敗れたが4強に進出した。

 前年度まではシェリフ・ソウが徹底マークされると終わりだった。今年はそんな時に得点できる日本人がいる。「ソウがいることで周りがグーンと伸びた」と杉村はうなずく。練習で202センチから得点を狙い、失点を防ぐ。他校にはない高さとの勝負を積み重ねて技術を磨いた。それとは違う形でも、シェリフの存在はチームの成長を後押しした。

 無名校から全国の常連へ躍進していく中で、聞こえてくる言葉があった。「シェリフ・ソウがいるから」。あらゆる学生スポーツで外国人選手を抱えるチームに向けられるフレーズだが、認めざるを得ない部分もあっただけにこたえた。主将の反町駿太は「その言葉があったから余計に頑張った」と語る。周囲が悔しさを紛らすために発した一言が、皮肉にも沼津中央をより強くした。

 それを最も体現するのが鈴木聖也だ。賤機中時代は県16強止まりと、決してエリートではない。杉村も「磨けば光ると頼まれたんだよ」と笑う。当時すでに185センチあった体格を見込まれての入学だった。1年の夏、腹痛を起こし1日だけ実家に帰ると、その後1年間試合に出ることはなかった。昨年9月に杉村が監督になると起用され始めたが、同12月の全国選抜でもチームに貢献できず。それ以降、今度はベンチに下げてもらえなくなった。「ミスターフル出場」のニックネームがついた。

 杉村が「我慢して使ったんだよ」という愛のムチと、練習後に1時間シュートを打ち続けた本人の努力もあって、3年になると189センチは不動の地位を築いた。「ソウがいるからここまでできるようになった」と、絶対的な存在を追い掛けた日々を振り返る。今ではシェリフから「聖也の存在は大きい」と信頼される第2の得点源だ。他のメンバーも力をつけ、大黒柱との実力差から生じた不和も今はない。昨年まではほとんどなかった選手だけのミーティングを行い、日本一へ心は1つになった。

 杉村が県高校バスケ界にまいた種は、想像以上の大輪の花を咲かせようとしている。あらためて3年の軌跡をたどると「奇跡」の一言では片付けられない、熱意と努力があった。杉村は「シードされて1試合少ないのは大きいよ」と笑った。狙うは日本一しかない。(敬称略=おわり)