日本代表としてW杯4大会連続出場を果たした近鉄のロック、トンプソン・ルーク(38)が現役最終戦で有終の美を飾った。栗田工業を74-0と完封し、7戦全勝でトップチャレンジリーグ(トップリーグ2部相当)優勝。後半32分には仲間の計らいでゴールキックを決め、フル出場で締めくくった。04年の来日から16年。今後は母国ニュージーランド(NZ)で牧場を経営し、第2の人生を送る。

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日の丸を背負い、何度も戦った秩父宮がざわついた。後半32分。味方のトライで60-0とし、ゴールキックの指名を受けたのがトンプソンだった。向き合った栗田工業の選手に謝るしぐさを見せ、中央約10メートルから右足をひと振り。仲間の計らいで2点を刻んだ。観衆は、下部リーグでは異例の1万4599人。その多くが立ち上がった。そして後半ロスタイム。再度担ったゴールキックが外れ、笑顔で優勝と現役引退を告げる笛を聞いた。

「近鉄と日本代表のジャージーは大事。仲間、コーチ、応援してくださったファン、家族。言葉にならないぐらい感謝しています」

2年を想定していた日本での暮らしは、16年になった。04年、三洋電機(現パナソニック)から誘いを受け、NZのコーチに「1~2年で戻ってこい」と送り出された。来日当初は同僚が刺し身を食べるのを横目に、その魚を焼いた。契約が満了した2年後、近鉄への移籍が転機となった。「日本人はむっちゃ優しい。生魚も好きになった。近鉄でチャンスをもらおうと思った」。家族で大阪に住み、娘を自転車で幼稚園に送るのが日常になった。

選手としては厳しくあり続けた。日本代表としてW杯4大会連続出場。15年南アフリカ戦の歴史的勝利にも貢献し、引退もよぎった昨季終了後に代表復帰。自国開催だった19年W杯で柱になった。タックル、ボール争奪戦で体を張り、準備不足で起きた仲間のミスは厳しく諭した。背中で語る男は愛された。この日、ボールを持つとファンによる「ルーク!」との声がこだました。背番号4が記された赤いTシャツを着た仲間に囲まれ、3度胴上げされた。

「(トライチャンスは)足が遅かった。10年前だったらチャンスはあったけれど。今の感じは…疲れた」

そう笑わせた38歳はしばし体を休め、今後は母国で牧場の経営を志す。近鉄はアドバイザー的な役割を打診。関係者も「彼は功労者ですから」と言う。場内1周を終えたトンプソンは、かみしめた。「今日は特別な日。チームが勝って、優勝した。それが一番うれしいです」。その姿勢は、最後までぶれなかった。【松本航】

◆トンプソン・ルーク 1981年4月16日、ニュージーランド・クライストチャーチ生まれ。13歳で競技を始め、セントビーズ高、リンカーン大などを経て04年来日。三洋電機に在籍し、06年から近鉄。07年4月香港戦で日本代表デビュー。71キャップは外国出身選手最多、全体6位。家族は妻ネリッサさんと2女1男。196センチ、110キロ。

◆トップチャレンジリーグ トップリーグ(TL)2部に相当し、19年11月15日に開幕した今季は8チーム総当たり。TLはW杯日本大会の影響で今月に開幕したため、入れ替え戦は行われない。来季の国内リーグ開催方式、参加チームなどは検討中となっている。