新型コロナウイルス感染拡大で東京オリンピック(五輪)は延期となった。選手が来夏の祭典で獲得を目指す五輪メダル。各競技でどのような歴史が刻まれてきたのか。「日本の初メダル」をひもとく。

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レスリング日本人初のメダリストは、ブラジル・サンパウロに眠る。1924年(大13)パリ大会のレスリング男子フリースタイル61キロ級で銅メダルを獲得した内藤克俊だ。

リオ五輪まで日本代表が獲得した163個の銅メダルの第1号は、日本レスリング史が開始する以前に五輪に活躍を刻んでいた。大日本アマチュアレスリング協会として現在の日本レスリング協会が設立されたのは1932年(昭7)。その8年前の偉業だった。

1895年(明28)2月25日、広島市に生まれた。幼いころに両親を亡くし、10歳の時に長姉を頼って台湾に渡って柔道を始める。鹿児島高等農林学校を経て留学した米ペンシルベニア州立大で、「柔道に似ている」とレスリングを始めた。全米選手権などで優勝。排日運動が盛んな時期にもかかわらず主将を任されるほどで、「タイガー・ナイトー」という愛称で呼ばれた。

パリ五輪には陸上や競泳などの日本選手団とは別に、1人で米国から参加した。米国選手団とともに決戦に向かう船上で左手の指を負傷し、大会では過去に負けたことのない米国選手に敗れたものの、3位になって銅メダルを獲得した。

その後は一時帰国して再び台湾に渡った。28年に家族でブラジルに移住し、サンパウロ州スザノに転居後は地元産業組合の理事長としても活躍。63歳まで無償で柔道の指導も続けた。69年には講道館7段が贈られ、その年の9月27日に74歳で死去した。