あの感動を再び-。ラグビー日本代表が初の8強入りを果たした19年ワールドカップ(W杯)日本大会の開幕から、20日で1年を迎えた。

SO松田力也(26=パナソニック)は、初の大舞台での経験を糧に3年後を見据える。日本中が熱狂した激闘の裏にある喜びと悔しさ。23年フランス大会で主力が期待される司令塔が、現在の思いなどを語った。

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ジョセフ・ジャパンが「ONE TEAM」で8強の歴史的快挙を遂げたW杯から1年。松田は感慨深く、夢の祭典を思い返した。「ラグビーを21年間やって良かったと思えた瞬間だった。過去に経験したことがない自国開催の期待や重圧が、個の集団をより1つにして目標を達成できた。ファンの方を含めて『ONE TEAM』で、あの興奮は今も忘れられない」。

個人的には不完全燃焼だった。準々決勝の南アフリカ戦まで、5試合連続で背番号「22」を背負った。不動の司令塔、田村優(31=キヤノン)の2番手で途中出場しつつも、先発起用を常に意識した。日本が大金星を挙げた1次リーグのアイルランド戦のみ出場機会に恵まれず、ベンチでチームを誇りに思う一方、悔しさも覚えた。「あの場に1分も立てなかった。良い結果の裏にある悔しさ。絶対に忘れない」。この出来事が、23年大会への大きなエネルギーとなった。

代表をけん引する「絶対的な司令塔」に成長するために、より高いプロ意識を持つことが重要と考えた。状況判断やプレー精度を向上させるために何をすべきか。新型コロナウイルス感染拡大による自粛期間中は、「己と向き合う時間」と前向きに捉えた。首と腰のヘルニア克服のため、弱点だった体幹強化や柔軟性の向上に努めた。堀江翔太からトレーナーの佐藤義人氏を紹介してもらい、7月には地元京都で“武者修行合宿”を1カ月間敢行。治療院やビーチなどで体の内側を鍛える地道なトレーニングを反復した。体重88キロを維持しながら効果を実感し、現在も継続する。休日も体幹を鍛えるために、スタンドアップパドルボード(SUP=サーフボードの上に立ち、パドルでこぐ)に挑戦し、競技力向上のために試行錯誤する。

3年後の本番に向けて、経験値を積むために22年には海外挑戦の意向を示している。「代表活動はないがW杯への戦いは始まっている。出来ることは全てやりたい。次は(姫野や坂手ら)僕ら世代の番。絶対に10番を着て、あの感動を再び、日本中に伝えたい」。26歳の次世代の司令塔は、2度目の大舞台を見据え精進を重ねる。【峯岸佑樹】

◆松田力也(まつだ・りきや)1994年(平6)5月3日、京都市生まれ。6歳でラグビーを始める。京都・伏見工高(現京都工学院)-帝京大-パナソニック。16年6月のカナダ戦で代表デビュー。代表キャップは24。尊敬する選手はベリック・バーンズ。趣味はSUP。好きなタレントは元乃木坂46の西野七瀬。好きなテレビ番組はABC系「相席食堂」。家族は妻。181センチ、88キロ。血液型O。