<日本生命セ・パ交流戦:ソフトバンク2-8阪神>◇12日◇ヤフオクドーム

仏壇に静かに手を合わせた。背中から悲しみが伝わってきた。プロ5年目を終えたオフ。ソフトバンク和田はこの年11月に他界した元西鉄ライオンズの大エース稲尾和久氏の自宅を訪問した。

「あまりにも和田さんが、悲しい顔をされていて。こちらの方が元気づけなくちゃと思ったくらいでした。あんなに悲しんでくれるなんて思いもしなかったわ」。対応した律子夫人は、親子以上に年の差のある若き左腕の姿を印象深く話してくれた。もう12年も前の話である。「主人と同じユニホームを着たわけではないのに、わざわざお参りに来ていただいて」。律子夫人は笑みをたたえながら涙をこぼした。

「時の記念日」だった10日は稲尾さんの誕生日だった。存命なら82歳。ヤフオクドームにほど近いお寺に今は最愛の律子夫人とともに眠りについている。アジサイの花が迎えてくれる境内を通り抜けると、静かな墓地に2人のお墓はある。「あいつは賢いからな。長く投げてもらいたいわい」。生前そう話しては「(投球の)テンポがいい」と若き左腕を評価していた。

「鉄腕」と言われた男も肩を痛めシーズンを棒に振ったことがあった。64年は0勝。その年のオフにはボール大の鉄球をつくり、自宅の庭で激痛に耐えながら投げ続けた。荒療治というにはあまりにも無鉄砲。どうしても消えない痛みを痛みで和らげようという逆転の発想だった。荒療治が奏功したわけではなかろうが、ウソのように痛みが消えた。翌65年の東映戦で復帰登板。くしくも和田が中日戦(ヤフオクドーム)で投げた復帰マウンドと同じ6月5日だった。

和田は2度目の登板で黒星を喫した。1発を含め阪神梅野に4打点を献上して6回途中で降板。とはいえ、107球を投げた。復帰星へ「苦投」は続く。だが、明るい光は見えている。【ソフトバンク担当 佐竹英治】