<阪神4-1中日>◇3日◇甲子園

阪神は3日の中日戦に勝ち、首位広島から4・5差とした。残り21試合。厳しい状況ではあるが、下を向いてはいられない。

過去には阪神を上回る逆境を覆したチームもある。63年の西鉄(現西武)は今季の阪神と同じ21試合を残した時点で、首位南海(現ソフトバンク)に5差をつけられていた。そこから奇跡の逆転を果たしたのだ。

この年の西鉄は、プロ野球史上最大の逆転優勝を飾ったチームとして球史に名を残す。シーズン61試合を消化した7月7日には南海に14・5差にまで開いた。

ここから西鉄は猛烈な追い上げを見せる。8月3日からの対南海4試合を3勝1敗で乗り切り、勢いを得る。この月を17勝7敗と10の貯金を稼ぎ、南海を追いかける。そして現状の阪神と同じ残り21試合となった時点では5ゲーム差だった。

9月28日の近鉄ダブルヘッダーに連勝。翌日29日の近鉄ダブルヘッダー第1試合こそ敗れたものの、第2試合から10月9日阪急ダブルヘッダー第2試合まで、1分けを挟み9連勝を飾り、ついに首位に躍り出た。

西鉄と南海は10月15、16日に直接対決に臨んだ。15日は西鉄、16日は南海がそれぞれ勝利。この時点で南海が首位を奪還した。17日の近鉄戦にも勝った南海は、85勝61敗4分け、勝率5割8分2厘。西鉄に1差をつけ、シーズン全150試合を終えた。

一方の西鉄は、82勝60敗4分けで4試合を残している。19、20日の地元平和台での近鉄ダブルヘッダー計4試合である。

西鉄の4勝0敗なら優勝だが、3勝1敗なら優勝決定戦が開催される。なんともしびれる状況が生まれた。

運命の19日第1戦で西鉄は、15安打17得点の乱れ打ちで近鉄を一蹴。硬さの取れたナインは残る3試合もものにし、奇跡の大逆転優勝を成し遂げたのだった。のちに太平洋-クラウンを経て、79年に西武に身売りし埼玉県へ移転するライオンズにとり、これが西鉄としての、そして福岡時代の最後の栄冠となった。

当時3人のプレーが許されていた外国人枠を、最大限に活用した。ウィルソン、ロイ、バーマの野手3人は「三銃士」と呼ばれ、打線を引き締めた。また稲尾和久が28勝、田中勉が17勝と両輪が踏ん張った。

選手兼任監督として優勝へ導いた中西太は「優勝できたのは、チームの『和』以外の何物でもない」と、優勝を決めた平和台の監督室で大粒の涙をこぼしたという。

このように過去には、阪神を上回る逆境を克服した優勝球団があるのだ。3戦3勝と白星を重ねる、高橋遥人という救世主も現れた。残るは21試合。奇跡を起こす時間は、まだ残っている。

【記録室=高野勲】

パ・リーグは、西鉄の大逆転優勝で幕切れ(1963年)
パ・リーグは、西鉄の大逆転優勝で幕切れ(1963年)