14年夏の石川大会決勝・小松大谷戦で大逆転劇を演じた星稜は、甲子園大会で16強入りした。1回戦は伝統校の静岡を逆転で破り、2回戦は先発全員11安打4得点で鹿屋中央(鹿児島)を4-1と撃破。3回戦は八戸学院光星(青森)の前に延長10回、1-5と力尽きたが、春夏通じて16年ぶりの16強を果たした。

 小松大谷のためにも負けられない思いを、星稜ナイン、監督の林和成は共有していた。「相手に重いものを背負わせてしまった」。星稜には劇的、小松大谷にとってはまさかの結果に終わった石川決勝を、林はそう振り返った。「8点差を逆転」と語り継がれる教え子に対し、小松大谷ナインには「8点差を逆転された」と痛恨の思い出がついて回る。むごいことではないか、と林は相手の心情をおもんぱかった。

 不滅の敗者と記憶されてきたのが、星稜の球史だ。79年夏の箕島(和歌山)との延長18回の激闘、92年夏の明徳義塾(高知)戦での主砲・松井秀喜(元ヤンキース)の5打席連続敬遠、2年生エース山本省吾(元ソフトバンク)が左足の激痛をこらえて投げた95年夏の決勝・帝京(東東京)戦。いずれも星稜は敗者だった。それでも乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負でときには勝者をしのぐ拍手を送られ、星稜ならではの球史を残してきた。語り継がれる敗者は、相手を思う心を知っていた。

 岩下 決勝が終わった直後に監督は「小松大谷の分も頑張ろう」と言われました。甲子園は、その気持ちがメインでした。絶対に、勝たないかんなと。

 高校最後の決勝で、絶望的な点差を前にしても希望をつなぐことができたのは、仲間への思いがあった。9回の先頭打者は主将の村中健哉。四球を選び、一塁へ走った。続く代打の今村春輝は適時三塁打。ともに春までは中心選手で、夏は控えに回った2人だった。

 岩下 ああよかった、こいつら打ってくれた、1点返してくれたとうれしかった。最後になるかもしれないのに「ウワーッ」とかやってるキャプテン見ると、よかったなあって。めちゃめちゃいいキャプテンでした。いつも人のことを考えて、自分優先は全くない人でした。一生付き合いたい人です。

 そんな仲間がいた。最後の力を振り絞れるだけの仲間が、岩下にはいた。石川で切磋琢磨(せっさたくま)してきた小松大谷ナインも、岩下ら星稜ナインにとっては仲間だった。

 思いは相手に届いていた。当時の小松大谷エースで今はソフトバンク育成選手としてプレーする山下亜文が、星稜ナインを語る。

 山下 尊敬している仲間です。どうやって仲良くなったのかはもう忘れましたが、プロ入り後も東京遠征のときに岩下や星稜の2、3人と食事に行ったこともあります。あの決勝の話もしました。

 正直、思い出すのはつらい試合。球場の雰囲気にのまれた、苦しい、悔しい一戦だ。だが、残ったものはあった。ユニホームは違えど、同じ時代に同じ白球を追った仲間は、その1つ。だからあの夏、甲子園大会をテレビで見ながら山下らは星稜ナインの活躍にこぶしを握った。そしてもう1つは、不屈の魂。

 山下 あの悔しさがあるから、つらいときでも頑張ろうと思える。なにくそという部分、今度はプロで結果を出してやろうとバネになっている部分です。

 山下のプロ入りへの道を切り開いてくれた1人が、星稜元エースのソフトバンクスカウト、山本省吾だ。つながり合う縁が、そこにある。(敬称略=おわり)【堀まどか】

八戸学院光星に敗れ、星稜・林監督(左)にねぎらわれ涙を流す岩下
八戸学院光星に敗れ、星稜・林監督(左)にねぎらわれ涙を流す岩下