試合直後の球場裏通路に「藤原、お疲れさま」の声が響いた。汗をびっしょりとかいたPL学園(大阪)出身の佐久長聖(長野)藤原弘介監督(44)は「お久しぶりです」と、甲子園通算58勝を誇る中村順司氏(72=PL学園元監督、名古屋商大総監督)と固い握手を交わした。PL学園監督時代にドジャース前田らを育て、12年に佐久長聖に赴任。4度目の甲子園で、初めて恩師の前で戦った試合は1点差の惜敗だった。

 大阪の名門校から、冬場は気温マイナス15度まで冷え込む極寒地へ移り住んだ。元阪神今岡らと同期だった選手時代は、背番号「15」の控え外野手として甲子園に出場。大卒後、サラリーマン生活を経てPL学園の監督に就任し、春夏3度甲子園に導いた。指導者としての実績を積んだが「自分からPL学園のことは一切語らない。過去は過去。PLで学んだ、考える野球を子供たちに教えてます」と言う。1学年20人弱の少数精鋭から一変し、今は部員160人を率いる。

 中村氏 彼にはレギュラーではなかった悔しさがある。これは指導者としての大きな力。ベンチでは元気が良くて、守備要員、代走として常に試合に出る準備をしていた。中心選手ではありませんでしたが、そういう選手たちの気持ちを理解できるし、励ましの言葉もかけられるでしょう。

 <4点を追う6回。無死二、三塁から佐久長聖・斎藤の2点左前適時打で2点差に迫った。なお無死一塁で、打者は7番堀北>

 「さあ、どうするか」。中村氏がネット裏で身を乗り出した。1球目、バントがファウル。「そうだな、基本通り1点を取りにいくか」。2球目、ボール。1-1からの3球目、ヒットエンドランに切り替えた作戦は、投ゴロ併殺打になってチャンスを逸した。

 中村氏 いいと思います。バッターは7番。何でバントではなくエンドランなのか。それは毎日練習して、選手を見ている監督にしか分からない。結果論で周りが言うのは失礼。ただ、エンドランはセンターラインを外して打つことが基本。そこだけですね。

 大所帯の選手を率いる藤原監督は、同様の環境の聖光学院(福島)に出向くなど研究を重ねた。控え組にも遠征や練習試合を組み、内容を評価する。全員に役割を担わせる。今では後ろ姿でも全員の名前を言い当てるほど、コミュニケーションを重ねた。

 6回の作戦については「2球目まではセーフティーバントです。8番の小山が2打席連続三振で当たってなかった。二塁に送っても点は取れないかと思って、一、三塁をつくりたかった」と言った。9回には1点差に迫る粘りを見せたが、あと1点が届かなかった。

 甲子園で教え子が指揮する姿を初めて見た中村氏は、校歌が終わってもすぐに席を立たなかった。PL学園野球部は休部し、高校野球は大阪桐蔭全盛の時代を迎えている。「藤原に伝えて下さい。101回目の夏、頑張ってくれと。いや、その前に91回目の春がありますね」。【前田祐輔】