みんなに愛されているんだなあ~と、改めて感じた。海を渡る藤浪のことだ。先日、甲子園で開かれた記者会見は、壮行会のような雰囲気になっていた。ビジョンに映された選手たちの別れのメッセージ。新たな船出は、希望にあふれたものになった。

藤浪はもう終わった…。そう思われた数年の低調期。それでも阪神ファンの根強い支持は変わりなかった。僕の周囲のベテランファンも「これからですよ。第2の晋太郎が楽しみで仕方ない」と決して見捨てることはしなかった。

大阪桐蔭高での甲子園春夏連覇。まさしく大阪のスーパーヒーローの出現であり、ドラフトでは競合しながら、時の監督、和田豊が引き当てた。ファンはその瞬間、ガッツポーズを作り、口々に将来のエースの加入を「最高!」と叫んだ。

1年目から剛腕はうなりを上げた。順風満帆な軌跡をたどり、球界のエースに近づいていく。ところが、である。どこでどう間違ったのか。信じられない苦難が藤浪を待ち受けていた。何があった? 勝てない藤浪にいろいろな原因究明が施されたが、真実は明かされないまま。日本代表に選ばれた時、さまざまな指導を受け、それで混乱してしまった、という説もあった。

僕が印象に強く残っているのが2016年7月8日、甲子園での広島戦の出来事である。この日、先発した藤浪は立ち上がりから広島打線に打ち込まれ、失点を重ねた。7回表を投げ終えたところで2-5。藤浪もこの時点で131球を投げていた。

7回裏、阪神の攻撃で藤浪に打席が回る。反撃を試みるには当然、代打を送られる状況なのに、ベンチの監督、金本知憲は動かなかった。藤浪をそのまま打席に送ったのである。

なぜ? ざわつくスタンドにも金本は平然としていた。藤浪はそのまま8回も投げ、161球、8失点。敗戦投手で終えた。

試合後、金本はトラ番の問いにこう答えている。「何点取られようと、何球投げようが、最後まで投げさせるつもりだった」とし、「責任を感じてほしいし、感じないといけない」と藤浪を叱責(しっせき)している。

あれがすべてではないが、潮目が変わったのはその頃からではなかったか。過酷な懲罰投球と表現されていた。金本が期待を寄せるがゆえのムチだったのだろうが、藤浪は大きなダメージを負ったように、急坂を転げ落ちていった。

当時、評論家だった岡田彰布は藤浪の極端すぎる変化に何度も、何度も首を傾げていた。「1年目からあれだけ勝って、それを何年か続けたわけやろ。それが何でやねん? という感じ。そこに何があったのか、何が起きたのか。外にいたらわからんしな」と、また首を振るしかなかった。

和田、金本、そして矢野の元で過ごした阪神での生活。監督によって、劇的な変化があるが、それなら岡田の元での藤浪を見たかった…というのが正直な気持ちだ。昨年の終盤、岡田の監督復帰が現実味を増してきた。極秘裏で球団サイドと接触していたが、すでに藤浪に関しては、物事が進んでいた。

ポスティングによる海外移籍。藤浪が直訴し、球団も了承した。この時点では岡田にはどうすることもできなかったし、球団の決定を知るしかなかった。

もちろん岡田が「藤浪を残してくれ」とは言わないし、現実を受け入れるだけ。それでも藤浪のポテンシャルの高さは、以前の感覚のまま持っていた。

最近の話だ。藤浪のアスレチックス入団が正式に決まったあと、岡田に聞いた。すると「そら活躍する可能性は十分にあると思うよ。細かいことを考えず、伸び伸びと投げれば、メジャーでも必ず通用する球を投げれるやろ。環境が変わることで、心持ちも違ってくる。それを体現してほしいよな」。そういって藤浪にエールを送るのである。

岡田と藤浪は交わることがなかった。すれ違いで、岡田がタイガースにカムバックして、藤浪は阪神を去った。もし交わっていたら、岡田は藤浪にどう接し、どんな起用法を考えただろうか。それを見たかったけど、藤浪の新たなスタートに、ただただ頑張れ! と伝えたい。(敬称略)【内匠宏幸】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「岡田の野球よ」)