横浜(神奈川)は野球部の監督として、1日付で同校OBの村田浩明氏(33)の就任を発表した。村田新監督は涌井秀章投手(楽天)とバッテリーを組み、03年センバツ準優勝。04年夏は主将を務め夏の甲子園8強入りを果たした。渡辺元智元監督から学んだ野球を継ぐ1人として、名門復活に挑む。

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春3度、夏2度の甲子園制覇を誇る、名門・横浜の火を消さない。村田新監督は「今の3年生がこの夏、甲子園に行けて、横浜でよかったと思えるように導いていきたい」と抱負を語った。

横浜は昨年19年9月、当時の指導陣による部員への暴言や暴力行為が発覚し、監督を解任。コーチを務めていた高山大輝氏を監督代行に据え、新年度からの後任を検討していた。村田新監督は「打診を受けた時は随分悩みました。しかし、母校が窮地に立っている。力になりたいと思った」と胸の内を明かした。3月まで県立の白山の監督を務め、その転勤の時期も重なり「人生は1度きり。挑戦してみようと引き受けました」と決意した。

横浜で学んだ野球が原点だ。恩師・渡辺元監督の教え「愛情が人を育てる」を信条に「県立でも甲子園出場」を目標に指導してきた。白山では100円均一で買ったLEDライトの手作り照明で、夜遅くまで練習に付き合う。表情の変化を読み取り、何度も家庭訪問。選手、保護者ととことん話し合い絶対に選手を見捨てなかった。熱血指導で18年夏には創部43年目にして初のベスト8進出へ導いた。「僕は横浜で人生が変わった。これからも子供たちと向き合って、高めていきたい」と言葉に熱が帯びる。

同期の涌井、石川雄洋(DeNA)らとは、毎年年末に会い、お互い励まし高め合ってきた。2日には、涌井ら楽天のOBからはボール。福田永将ら中日のOBからは手袋の差し入れが届く。「皆さんに支えていただいている。大役ですが、母校のために一生懸命に頑張りたい」と覚悟を決めた。今、新たな横浜の歴史が始まる。【保坂淑子】

◆村田浩明(むらた・ひろあき)1986年(昭61)7月17日、神奈川・川崎市出身。横浜では正捕手として03年センバツ準優勝、04年は主将として夏の甲子園ベスト8進出。日体大へ進学し、卒業後は霧が丘で野球部部長として4年、白山では7年間、監督を務めた。保健体育教諭。