<センバツ高校野球:浦和学院17-1済美>◇3日◇決勝

 27歳で強豪を率いるようになった浦和学院(埼玉)森監督が、21年かけて頂にたどり着いた。「感謝、感謝、感謝です」と言った。上尾高(埼玉)、東洋大では背番号をもらったことがない。アンダースローの変則右腕で、高2年時に右肘の手術を経験した。「プレーヤーとしては失敗作」が原点だ。

 指導者への道を開いてくれたのは、上尾高監督だった恩師で元近鉄の野本喜一郎氏(享年64)。84年に浦和学院監督に就任した野本氏からコーチの打診を受けたのは東洋大4年の86年だった。しかしその年、夏の県大会直前に倒れた野本氏は甲子園開会式当日に亡くなり、初出場したチームの晴れ姿を見ることはできなかった。「教育の原点は生徒と1分1秒一緒にいてあげること」が教えだった。

 一緒にいる選手を褒めることはめったにない。私生活にも厳しい規律を求める。主将は昨秋までの高田から、山根に代えた。「高校野球の3年間は、男の子として世の中に出ていく、最後の三つ子の魂」。礼儀、自主性、思いやり。自分がそうだったように、厳しい3年間が、社会に出てからの礎になると信じている。【前田祐輔】

 ◆森士(もり・おさむ)1964年(昭39)6月23日生まれ。上尾高、東洋大では投手。浦和学院投手コーチをへて、91年8月に同校監督に就任。今回が春夏通算18度目の甲子園。家族は夫人と2男。長男、次男とも浦和学院野球部に所属し、親子鷹として一緒に甲子園出場。社会科教諭。趣味はゴルフ。