<センバツ高校野球:帝京3-2三重>◇30日◇2回戦

 就任38年目の帝京(東京)前田三夫監督(60)が、劇的なサヨナラ劇で史上3人目の甲子園春夏通算50勝(21敗)に到達した。東日本では初。1点を追う9回2死三塁、田口公貴内野手(3年)の左前適時打で同点に追い付き、延長10回無死満塁から鈴木昇太内野手(3年)が三塁強襲のサヨナラ打を放った。エース伊藤拓郎(2年)は延長10回8安打2失点完投。東京から2校が8強入りするのは87年以来23年ぶりになる。北照(北海道)は初で北海道勢は17年ぶり、大垣日大(岐阜)は3年ぶりの8強進出を決めた。

 節目の勝利をかみしめるように、前田監督は5度手をたたいてベンチから歩み出た。ホームベース上でサヨナラの喜びに浸る選手たちを、優しくなったまなざしで見つめた。甲子園で聞く50度目の校歌。背筋を伸ばして聞き入った。

 第一声は「選手に感謝ですね」。千葉出身で現役時代は「(同郷の)長嶋さんにあこがれて、長嶋2世になろうと思った」と練習に励んだ。甲子園出場はなく、帝京大では控え選手だった。22歳で帝京の監督に就任。就任時「私と一緒に甲子園に行こう」と言うと、選手たちに「腹を抱えて」笑われた。40人いた部員は、1週間で4人になった。「補欠から始まったことが私の指導原点」と言う。

 1点を追う9回2死三塁。1番田口のもとに、背番号「12」の控え主将、小林を伝令に送った。3者連続初球攻撃でつかんだチャンス。「プレッシャーを感じないで思い切っていけ」と伝えた。田口の適時打まで5球で同点に追いついた。サヨナラ打は背番号「1」を付けながら控え投手の鈴木。前田イズムが詰まった逆転劇だった。

 87年夏、甲子園58勝を誇るPL学園・中村順司監督(63=現名商大監督)のもと、日本代表コーチとして米国遠征した。選手起用など、何度も意見を求められたが、反映されなかった。「自分の信念を貫くのが大事。日本一の監督はこうなんだ」と学んだ。

 勝てなかった30代、校長に「1年以内に勝たなければクビ」と宣告された。円形脱毛症になった。「鬼の前田」に徹したが、「高校野球は変わってますから、僕自身も変わる」と笑いじわが増えた。大会中、酒は飲んでも缶ビール1本。都内では選手と同じ23種目の筋力トレーニングを2日に1度続ける。「いつまでも選手にノックを打てるように」と30代で90キロ近くあった体重は、62キロに保つ。

 節目のウイニングボールはそっと受け取った。「生徒たちの汗と涙ですよ。それが積み重なったものですから」。厳しい戦いが続く中、少しだけ勝利の余韻に浸った。【前田祐輔】