<全国高校野球選手権大会:関東第一12-1花園>◇1985年8月9日◇1回戦◇甲子園

甲子園に新怪物が出現した。初出場の関東一が田辺昭広(17=3年)の史上6人目の2打席連続アーチなど18安打、12点の猛攻で花園に圧勝した。第2試合は東農大二が延長10回立岡の殊勲の二塁打で智弁学園に劇的なサヨナラ勝ち。第3試合は日大三が守りの乱れで鳥取西に屈し、第4試合の南北対決、函館有斗―沖縄水産は、暑さに強い沖縄水産が猛打爆発の11点で1回戦を突破した。

 ◇ ◇ ◇ ◇

「下町の暴れん坊」関東一打線には神宮も甲子園も関係なかった。初めて踏む甲子園でも18安打12点の大爆発。ナインはダイヤモンドを縦横無尽に駆け回る。この「暴れん坊打線」に火をつけたのは3番の田辺だった。

1点を先行した3回2死一塁。花園のエース空木(うつぎ)の2球目。真ん中高めのボール球を左中間ラッキーゾーンへ中押しの2ランだ。さらに5回、今度は1―3後の5球目をバックスクリーン右横へ豪快な125メートル弾だ。こんな派手な大ワザというのにガッツポーズはなかった。

「(ガッツポーズを)したかったけど、怒られると思ったから……。それにまさかあんなに打球が伸びるとは思わなかったのでビックリしちゃいました」と、本人は目を白黒。そして「甲子園って、自分の力以上のものが出るところなんですね」と思わずニッコリ。 新記録のかかった6回、第4打席では中前安打。田辺は「記録は意識していなかった。あれが僕のバッティングなんです」と胸を張った。今冬は、小倉監督と外ケ崎コーチがつきっ切りで、1キロの重量バットで徹底的に素振りをさせた。一日500回振ることもざらだった。

◆パワーアップ 握力が右58キロ、左52キロ(それぞれ4キロアップ)。背筋力は、150キロから165キロに15キロアップ。遠投力も100メートルから104へ。非力ながらも徐々に力をつけた。

そんな努力が長打力を生み出した。だが、2打席連発男は、これまでは日陰の男でしかなかった。名門の調布リトルの出身だが、リトル時代はベンチに入れず、シニア時代も控え遊撃手。調布八中卒業時にも、もちろんどこの高校からも誘いはなかった。関東一を選んだのは「そこそこ強いし、ここで一生懸命やれば何とかレギュラーになれるかも」という気持ちだった。

◆担任の曽野和之先生(30=3年4組、国語) 田辺はコツコツ努力するタイプ。私のクラスには8人甲子園組がいるが、彼は目立たない子です。でも成績はクラスで5番目ですよ。練習で疲れているためか、私の国語の授業の時はときどき居眠りして、ゲンコツを食らわすこともあります。まさか2発とは……。ビックリです。

関東一でも試練が待ち受けていた。1年の夏休みに古賀(現三塁手)が福岡・東福岡高から転校してきた。こちらは調布リトル、シニアでバリバリのレギュラー。「ここでレギュラーを譲ってたまるか!」と古賀との遊撃手争いに必死で頑張った。

◆ライバルだった古賀 シニア時代とは信じられないほどうまくなっていた。冷静な男で、配球を読むのが実にうまい。陰でかなり練習しているみたいですね。

雑草男は、甲子園の大舞台で大きく羽ばたいた。田辺はユニホームの上着の内側に、中学時代からのガールフレンドにもらったという、手づくりのお守りをしのばせていた。一躍、甲子園のスターになり、「目標ですか? PL桑田君の球を打ってみたい」と目を輝かせた。

打線の強力援護を受け、マウンドでは165セチチのチビッコ。エース木島が踏ん張った。この木島も、日大三から転校してきた大型右腕・高井の存在に刺激され、ここまできた。「古賀、高井の転校組が、チームの刺激になっている。まさかこんな展開になるとはね」と小倉監督(28)は顔を緩めた。

「1点に抑えたんだから満点かもしれないけど、僕の実力がこんなものとは思われたくないです。あれだけ打ってくれたから楽だった」。東東京大会の10番から、エースナンバー・1を背負った男は、強気に言い放った。下町の暴れん坊たちは、もう完全に乗りまくっている。関東一から、さあ日本一へ。あまりに派手な関東一の甲子園初舞台だった。【武石】