<ソフトバンク2-5西武>◇28日◇京セラドーム大阪

 

平良海馬投手の野球人生、スタートはマスクをかぶっていた。沖縄・石垣島の真喜良サンウエーブで野球を始め、小学校では捕手だった。「キャッチャーを長い間やっていたから、セカンドに速く投げられるようにするために、強く投げていた。小学校の頃からノーバンで投げようと」。本塁から二塁までの距離は、軟式でも30メートル以上ある。「より低く、より速く。そういう意識でやっていた」。そこで今につながる剛腕が培われた。

中学校でも当初は外野。学年が上がってエースになった。「フォームも投げたいように、教えられることもなく、ただ投げていましたね。ただ『強いボール投げよう』『速いボール投げよう』って」。剛速球を追い求めた小中学校時代があったから、プロ野球での18・44メートルの攻防を制し、日本記録につながった。【栗田成芳】