10日に開幕した第103回全国高校野球選手権神奈川大会。第1シードの横浜は、13日に足柄と初戦を迎えた。昨夏は新型コロナウイルスのため選手権中止。就任2年目の村田浩明監督(34)にとって、母校を夏の甲子園へ導くための初めての戦いが始まる。春夏甲子園優勝5回を誇る名門だが、昨秋、今春とも県大会準決勝でコールド負け。甲子園は、19年センバツを最後に遠ざかる。「再建」にかける思いを語った。

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「今ので本当にいいのか !? 」。村田監督の鋭い声が飛ぶ。横浜・長浜グラウンドではゲーム形式のノックが行われていた。守備位置や中継判断にとどまらない。(打者)走者の判断。攻め手、守り手、全てのプレーに注文がつく。「高校野球はトーナメントの一発勝負。1球に、どれだけ選手が入れるかを大事にしています。時間は限られる中、緻密な難しい野球を教え込んでいる。妥協はしません」。100回に1回、あるかないかのプレーまで想定。不確かな動きには、監督だけじゃなく、選手同士も容赦なく声を飛ばす。まさに妥協なき光景だった。

村田監督は高校時代、涌井(現楽天)とバッテリーを組み、03年センバツ準優勝など多くの経験を重ねた。日体大卒業後、神奈川の教員となった。前任校の白山では就任時に4人しか部員がいなかったが、徹底的に鍛え、18年夏の北神奈川大会8強入り。「横浜高校と比べたら実力は不足する。ただ、そういう子たちも、鍛えて、鍛えていけば、2年秋、3年夏に開花する」。公立校での経験がベースにある。だから、横浜に移っても「鍛える」ことに妥協しない。それが、名門再建の道と信じている。

平たんな道ではない。昨秋県大会は、準決勝で東海大相模にコールド負け。「永遠のライバル」を相手に屈辱を味わった。さらに、今春も準決勝で桐光学園にコールド負け。屈辱は繰り返されたが、変化を感じられる出来事もあった。

春季大会前の練習試合で、ふがいないプレーが起きた。村田監督は「悪いが、思ったことを全部、言うぞ」と前置きし、厳しい言葉を重ねた。昨夏は3年生中心に独自大会に臨んだため、当時の2年生(現3年生)たちと向き合えたのは、昨夏が終わってから。「わずか10カ月で甲子園を目指さないといけない。究極の難しい仕事」だが、ようやく本音をぶつけられたことで、垣根は消えた。

団結力を高め、夏に挑む。互いに勝ち進めば、準決勝で東海大相模と当たる。県内41連勝&6季連続優勝中の絶対王者。くしくも、横浜が最後に甲子園に出た19年センバツの後の春季大会から勝ち続けている。今春センバツでは日本一となり、甲子園の通算優勝回数で並ばれた。差は広がる一方なのか。ただ、そんな状況も「神奈川に日本一のチームがあるということは、またさらに成長できるチャンス」と捉えている。

午後3時から始まった練習は、時計の針が7時を回っても続いた。夏至を過ぎたばかりの6月末とはいえ、ようやく夜のとばりが訪れようとしていた。村田監督は「本当に大事なものを、この場所で、私も教わってきました。それを次世代の子どもたちにも継承したい」と語った。母校復活を願う声はひっきりなし。声だけじゃない。元監督の渡辺元智氏(76)や元部長の小倉清一郎氏(77)は、指導にも来てくれる。昨年4月1日に就任した際、渡辺元監督からさまざまな金言を贈られた。もっとも大事にしている言葉が「愛情が人を動かす」だ。

「渡辺監督には『監督は選手をどれだけ動かせるか。そのために、どういう風に選手を知るかが大事だ』と言われました」。教えを守り、医師のように選手個々の〝カルテ〟を作成した。「1人1人の様子や、直さないといけない部分を書き込みました。技術だけじゃなく人間性も。そうやって選手を知り、愛情を持って接することを大事にしています」。愛情があるから、厳しいことも言える。

再建をかける夏。「ゴールは決めません。彼らと最後の夏、どこまでも行きたい。一番長い夏を過ごしたい」。偽らざる気持ちで締めた。【古川真弥】

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